夜桜お慎4
慎吾の部屋へ行くと、さっそくのように、慎吾が大学ノートを差し出してきました。
「書いたからオレ。帰ったら読んでくれよ」
「おお、オレのも渡しとくな」
「お前の日記、何度も読み返した。和己も頑張ってんな、って、オレも頑張れた」
「そっか。良かった。…あれは?」
和己が指差したのは、以前置いていったコケシでした。
「あれはまぁ…そこそこ」
そこは言葉を濁しました。
「実は今日は違う土産を持ってきた」
「え!や、そんな気ぃ使わなくて良いし…」
和己が箱の中から取り出したのは、犬張子という昔からある民芸品でした。
「あ、ちょっと可愛い。でも相変わらず和風なんだな」
以前のコケシみたいなのがまた来たらどうしようかと思っていましたが、今回は意外とまともでした。
「じゃあここに飾っとくな」
相変わらず勝手に和己はコケシの横に犬張子を飾りました。

そうしてその日も、出来る限りイチャイチャして二人は過ごすのでした。
しかし八時頃、慎吾の部屋に一本の内線電話がかかってきました。その時はまだベッドの上で二人は抱き合っていたのですが、鳴り止まない電話に慎吾が切れ、開口一番こう言いました。
「今日は絶対繋ぐなっつーったろーが、あ?埋められてーのかコラ」
以前よりも凄みが増したような気さえする低音で慎吾は相手を静かに威圧します。久しぶりに極道=慎吾の図を目の当たりにしてしまい、暫し固まります。
「は?知らねーよ!来んなっつっとけ」
電話越しの攻防はまだ続いているようです。
「だから来んな!つってんだろーが!おい!…くそっ」
ガチャッと乱暴に慎吾は受話器を下ろし、「兄貴が来る」と一言言いました。
「な、え?うわ、ホントかよ!」
素っ裸だった和己は焦ります。慌てて服を身につけ、ベッドの乱れを直し、戸を開けて換気をし、それだけでは足りないと思ったのか、うちわで部屋を扇ぎだしました。
「落ち着けよ和己」
「落ち着いてられるか!万が一にもバレたら大変だろが!主にオレの身が」
「だいじょーぶだって。兄貴なら。さすがにお袋だったら嫌な顔すっかもだけど」
「当たり前だバカ!お前のお袋さんにもしこんな…」
何かを想像してぶるる、と身を震わせました。先ほどまで慎吾に「好きだ」と熱く囁き、身体をわさわさ触っていた人間と同一人物だとはとても思えません。


それから五分ほどして、慎吾のお兄さんが姿を現しました。
「河合君、久しぶり」
「ひ、久しぶりです。何というか、挨拶もしなくてすみません。お邪魔してます」
それまで慎吾に色々やっていた事の後ろめたさから、どもり気味に、かつ下手に出ている和己でした。
「そんな畏まらなくていいから。ていうかごめんね急に。河合君が来てるっていうから、久しぶりに会ってみようと思って」
「来なくていいっつってんだろ」
「そんな、こちらこそホントすみません」
「どう?半年経ったけど。やっぱしんどい?」
「それは、凄くしんどいです。やっぱり好きですから…会えないって、凄く…大変な事なんだと思いました。好きでさえいれば、会えなくてもきっと大丈夫だなんて、経験してないから言えたのかもしれません。それでも、オレは最後までやり遂げるつもりですし、そうじゃなきゃ駄目なんです」
正座で背筋をぴんと伸ばし、拳を握り締めつつも、決意を固めた表情で、そう語る和己。
「そっか。強いなぁ、河合君は」
「いえ、そんな」
「慎吾なんて、よくぼーっとしたりしてんだけど、そんな時いっつも君の事考えてるしさ。この間なんか、マンガみたいに、廊下の柱に頭ぶつけてたんだよ。笑えるでしょ」
「ちょ、てめ言うなっつったろーが!」
「君の事がどうにも好きなんだなって思ったよ」
「……」
和己は少し、顔を俯かせました。
「つーかマジでもう行けよ!オレらの時間無くなんだろ」
そう慎吾に急き立てられて、お兄さんは部屋を出て行きました。
「和己…どうかした?」
俯いたままの和己に、慎吾が声をかけます。
「いや、何でもねえ。やっぱお兄さんは威厳があるなと思った。雰囲気に圧されちまったなぁ」
「そうか?」
「そうだよ」
その後、残されたわずかな時間を過ごしつつ、惜しみつつも再び二人は別れました。

「どうだった?二人の様子は」
広い座敷で、花を活けつつ訊ねる慎吾母。
「そうですね、健気に頑張っているようですよ」
「まだ一年目ですからね」
「このまま四年間、頑張るかもしれませんよ。…もしかすると逆効果だったのでは?障害があって逆に盛り上がってしまう事になるかも」
「それが分かるのはまだ先の話でしょう。時間というのは思いの他大きい障害ですからね。特に若い人には。冷めてしまうのに十分な時間だわ」
「…そうですか」
「貴方はどうなの。どうなれば良いと思ってるの」
「結局、慎吾が幸せならそれで良いんですよ。ただ、別れたほうが幸せなのか、別れない方が幸せなのかはまだ判断がつきかねますが」
「普通は、別れた方が最終的には幸せだと思うのではないの?」
「それは、二人次第ですかね。見守りますよ、取りあえずはね。そういう事でしょう?」
「…そうね」
パッチン、と音を立てて大きな牡丹の花の茎を水切りし、慎吾母は花器に活けるのでした。


家に帰り、またこれから三ヶ月慎吾に会えないのだと思うと、和己は言いようの無い寂しさに襲われます。改めて自分の出した条件の厳しさを痛感させられます。何故あんな事を言ってしまったのか、いや仕方なかったんだ、といった事がぐるぐる脳内をループしますが、どうにもなりません。
そこで気分転換の為にも、早速慎吾の日記を読んでみる事にしました。
慎吾は律儀に毎日日記を書いていたようでした。綺麗な字でノートが丸々埋まっていました。
初日は、和己と一緒に過ごした事が、それは嬉しかった旨を切々と書いていました。じんわりと胸が温かくなります。
しかし二日目はこんな内容でした。

”今日は兄貴と舎弟2人で、返済期限を一ヶ月も過ぎている野郎の元へ追い込みをかけに行くことになった。”
初っ端から度肝を抜かれます。そもそも金融業はやっていないと慎吾は言っていたはずでした。
”(闇金はやってないけど、その筋の人間相手に、普通の金融業は細々続けてるから)”

注釈を読んで、少し安心しますが、しかし追い込みをかけるとは穏やかでない一文です。

”久しぶりのガチ追い込みに、兄貴がテンション上がりっぱなしでウザかった。この日のために作ったんだとかって、フェラガモの靴の踵に鉄板を仕込んだ特注靴をいそいそと履いていた。フェラガモに対する冒涜だ。”

お兄さんは意外とお茶目だったりするのか…?と思いったりしましたが、内容が内容なのでそんな話でも無い気がしました。

”そもそも、仮にもいずれ跡目を継ぐ人間がする仕事じゃねーのに、ストレス解消に最高だとかってわざわざついてくる。現場に着いたら着いたで、ご自慢の靴でいきなりターゲットのアパートの扉を蹴り倒した。フェラガモに謝れ”

もしや、ずっとこんな内容の日記が続くのかと危惧しつつも、読み進めます。

”呼びかけも無しにいきなり扉が蹴倒されて最初こそ野郎が呆気にとられてたけど、そこは同業者だけあって「なんじゃコラアァ!」と歯向かってきた。それぐらいの反応をしてくれないと、兄貴をはじめ付いて来た舎弟も遣り甲斐が無いので、生き生きとしていた。最近は中々こういう機会も減ってるから”

最近のやくざ事情は、昔とは変わってきているようです。

”兄貴は取りあえず「期限が過ぎてますよ、一ヶ月も」と、穏やか〜に話しかけ、「無いもんは無いんじゃ!」と期待通りの反抗をしてくれた途端、無言で顔面に自慢の靴で容赦ない蹴りを入れた。その一打で歯が何本かと、鼻の骨も折れてた。鼻血が物凄い出てた。兄貴は、ヤクザにはよくあるタイプの、突如キレるスタンダード型だ。これで大抵の人間は戦意喪失する。が、そこに更に舎弟が出番とばかりに、テーブルやタンスを蹴倒したりしつつ、部屋の中を荒らしまくる。自分の身に起こっているショックな出来事にダブルで襲われて、混乱の中で降参するしかなくなる。オレは着いていったものの、結局眺めているだけだった。兄貴と舎弟が張り切りすぎるから。”

慎吾が参加してなくて良かったと思いつつ、ヤクザの現場というものを日記を通して知ることになり、軽く血の気が引きます。二日目からしてこんな内容では、この先一体どんな日記が続いていくのだろうとページを捲る手も重くなるのでした。


慎吾の淡々とした文面とは隔たった血生臭い内容に、軽いショックを受け、読むのは一日一回にしようと決めました。
その後、一日一度の慎吾日記を和己が読んでいくと、こんな風な内容でした。

”今日は兄貴が偉そうに、『ヤクザってのはハッタリが肝心だからな』とかってレクチャーし始めた。どれだけ相手をビビらせられるかが肝なのだとか言ってたけど、脅す前に相手の顔面を蹴り飛ばす奴に言われたくない”

”もう半年は経つのに、経済の事を学ぶべく学校に進学するという話が全然出てこない。おふくろに聞いたら、家庭教師をつける事にしましたとかしれっと言い出した。勘弁してくれ。これ以上野郎ばっかりの屋敷にいたらストレス溜まっておかしくなりそうだ”

”家庭教師とやらが来た。普段は親父の会社で活躍する右腕だとかいう話だったけど、どう見てもオカマだった。しかも妙に筋肉質。『あらやだ!お父様がかっこよくてらっしゃるから息子さんはどうなのかしらと思ってたけど、予想以上に可愛いじゃないの!”とかって張り切りだした。和己助けて”

血生臭い内容からは離れたものの、別の意味で危険な事になっていました。

”オフクロに抗議に行ったけど、『有能なんだから我慢しなさい』とかって却下された。オレに人権は無いのかよ”

慎吾母の発言権は、予想通りとても強いようです。

”今日もオカマとの勉強会。オカマのくせに妙に厳しい。頑張って仕上げたレポートを見せたら『これで将来お父様の仕事が手伝えると思っているの!』とかって丸々再提出させられた。いつかボコる”

”今日もオカマは元気だ。あのエネルギーはどこから来るんだろうと思う。オレはずっと机に座りっぱなしでエネルギッシュなオカマとマンツーマン。マジで死ぬ”

”今日は屋敷を抜け出した。あのままいると精神がヤられる。裕樹も当たり前みたいに付いて来た。鬱陶しいけど仕方が無い。久しぶりに買い物をした。調子に乗って、服とか靴とか沢山買った。和己がお土産持って来たから、オレも何かプレゼントしたい。何がいい?”

何が良い?って日記で聞かれてもな…と考えつつ、一般人とはかけ離れた日常を送る慎吾を思うのでした。


”オカマは午前中に3時間きっかりで勉強会を切り上げて、会社へ午後出勤する。お昼からがようやく気を抜ける時間だ。のんびり昼飯を食ってたらいきなり引退したはずのじいちゃんが手に木刀を持ってパシーン!て障子を開けてきてビビった。いつまで食ってるんだとかって言われて道場に連れてかれて、剣道の真似事らしきことをさせられた。こちとらずっと野球しかしてこなかったのに、なにをどうすればいいのかさっぱり分からない。何かと怒鳴られて、やたらめったら打ち込まれて痣になった。マジで助けて”

ちょいちょい慎吾のヘルプが入ってくるな…と思いつつ、あちらはあちらで大変そうだな、とも思う和己でした。

”今日は高島組の先代の命日だから、親父と兄貴が大阪まで行く。かと思ったらオレまで連れてかれた。勘弁してほしい。あんなヤクザばっかり何百人も集まるところに行きたくない。どいつもこいつもきな臭くて血生臭くて、挙句に前科持ちだったり現在進行形で犯罪者だったりする”

高島組というのは、ただの一般人である和己でさえ聞いたことのある名でした。日本最大の暴力団組合です。そんな名前が出てきた事、また、慎吾の家も関わっているのかという点に驚かされます。極道の事は分からないことだらけでした。

”高島組に着いたら、横山組の組長(50代のオッサン。パンチパーマにグラサン、縦縞のダブルスーツにヒゲっていうベッタベタのヤクザ。時代に取り残されすぎ)がなれなれしく声を掛けてきた。随分と景気がいいという話を聞いてますよ、とか、このご時世に羨ましい、だとか言ってきた後、オレに随分立派になったなぁ、とか言ってきた。知らねーっつの。挙句、ウチの娘と丁度いい年頃で、とか言い出した。マジ勘弁してくれ。コイツ似の娘ってどんなだよ”

また凄い事になってきてるな…とさすがに慎吾の身が案じられるのでした。