夜桜お慎3
あれから、慎吾に会えない日々が始まり、考えていた以上に辛い日々を和己は送っていました。
(そりゃそうだよな…前は、そのうち慎吾と連絡が取れると思ってたけど、今回は違うもんな。三ヶ月間、絶対に会えないんだ。メールも携帯も駄目なんだ)
二日目にして既に心が折れてしまいそうでした。とにかく慎吾が恋しくて仕方ありません。
大学の講義中も、うっかり心がどこかに漂い出て、気が付けば今慎吾は何をしてるんだろうとか考えてしまっていました。
(駄目だ駄目だ。オレが今するべき事は、しっかり大学に通って立派な大人になって慎吾を迎えに行くことなんだ。迎えにいけるのかどうかは未知数だけど…)
しかしどうしても寂しさは拭えず、そこである事を思いつきました。

そして、日々は過ぎて行き、和己にとってそれは長い、これまで生きてきた中で一番長いと感じた三ヶ月が過ぎました。
自分から、三ヶ月に一度なんて提案をしておきながらこんな体たらくで果たしてこの先大丈夫なのかと不安に思いつつ、とにかく今日は慎吾に会える日なのだと、そわそわしつつも出発する準備を整えます。ちなみに前日は中々寝付けなかったにも拘らず、朝は五時に目が覚めました。
早くに着けば、それだけ長く慎吾といられると思い、午前九時には島崎組の門前に立っていました。

許可を得て敷地内に入ると、ちょうど黒塗りの外車から慎吾が降り立った場面に遭遇します。そしてその周りには出迎えの組員が約二十名ほどが両側をずらりと囲んでいました。
「お勤め、ご苦労さんです!」と組員たちが次々と声を張り上げる中、慎吾は和己の存在に気づいたのでした。
「和、己」


慎吾は黒いスーツに身を包んでおり、パーカーとジーンズ姿でバックパックを担いでいる和己とはまるで別次元の人間のように見えました。
近寄っていいものか、しばし考えてしまい、立ちすくんでいる和己に、慎吾は敷き詰められた砂利を踏みしめながら少しずつ歩み寄ってきます。
しかし十メートル程の距離まで近づいた所で立ち止まり、顔を俯むかせると心細げな声を発しました。
「和己、オレの事まだ好き…?」
びっくりして慎吾の顔を凝視すると、その顔は不安に彩られていました。
「あ、あたり前だろが!だからここにいんだろが!」
慌てて駆け寄ります。
「マジで?」
「マジだこの野郎、この馬鹿!」
「良かった」
はにかむ姿に、三ヶ月という時間は和己だけでなく慎吾にとっても凄く長かったのだと思い知らされました。
「なぁなぁ、中、入れよ。間に合ってよかった。オレ今日ちょっと用事あったんだけど慌てて帰ってきたんだよ」
「ちょっと早く来すぎちまったかな」
「全然。今日一日だけじゃん。長い時間一緒にいてぇし」
屋敷内に入り、早速慎吾の部屋へと移動しました。

しっかり部屋の戸を閉め鍵もかけてから和己に向かい合います。
「鍵、かかるんだな」
「うん」
「……慎吾、お前不安だったのか?オレがお前の事好きじゃなくなるとか思ってたのか」
すると慎吾はうなだれます。
「だって長いじゃん、3ヶ月って。長すぎ。有り得ねえ。オレはこんな屋敷にいて、閉鎖的な環境だけどさ、和己は大学通ってっだろ?世間一般の世界にいて色んな出会いもあるし。…会えない時間って人の想いとか薄れさせるのに十分だと思った。遠距離恋愛が上手くいかないのって結局そういう事だろ?会えないって結構な障害だって改めて思ったんだよ。しかも連絡取り合う手段も何も無えとか…」
「……」
「もしさ…もし、好きじゃなくなっても、そん時は言ってくれよ。言ってくれたらオレちゃんと、理解すっから」
「慎吾」
「だって仕方ねえと思うんだよ。自然の摂理っつーか、そういうのってあんだよきっと」
「慎吾、もう言うな。んな泣きそうな顔して言うな。それこそ有り得ねえからな。どんだけこっちが寂しかったと思ってんだ。お前の顔を見たかった。辛くてマジで泣くかと思ったんだからな」
「…」
「自分から言い出しといて、情けないけどな。ごめんな慎吾。辛かったな」
「う、ん」
頼り気ない顔の慎吾は、頭を撫でられて和己に寄り添うのでした。


その後、二人は出来る限りイチャイチャベタベタして久しぶりの再会を心行くまで堪能していました。
暫くして、「そういえば」と和己がバックパックから何かを取り出しました。
「ナニソレ」
慎吾はこの上なく怪訝な表情を浮かべます。和己の手にあったのは、一体のコケシでした。
「いやな、お前に何か土産でもと思ってな。何が良いのかと思ったんだけど、お前の部屋っつーか屋敷が純和風だろ?和室に合うものって何だろうって 考えて、考えすぎて悩んだ挙句辿り着いたのがコケシだった」
「意味わかんねぇ。別に和物に拘らなくて良いし」
慎吾は明らかに和己のセンスに失望しました。
「やっぱ、赤べこの方が良かったか?実は迷ったんだよなぁ。でもほら、時折寂しくなった時にこれをオレだと思って癒してくれたら良いかなって。心を」
「癒されねえ。間違いなく。お前のセンスが全然分かんねえ」
「まあこれは、この辺にでも飾っておいてくれ」
癒されないと断言されるも全く気にせず、勝手に棚の上にコケシを飾ります。
「何か怖えんだけど。夜とか、こっち見てそうで」
「そんでな、もう一つあんだよ」
若干気味悪そうな慎吾の一切をスルーさせて次に和己が取り出したのは、大学ノートでした。
「これな、日記。オレさ、暇があるとついお前の事考えてて。今何してるんだろうな〜ってそんな事ばっかりな。んで、お前ももしかしたらそうかもしれないって思って、日々の出来事とか書きとめてみた。ちょっとは寂しさとか紛れんじゃないかと思って」
「マジで!これ嬉しい。読む読む。すげえ読むし!」
テンションが上がった慎吾は、パラパラとページをめくります。
「恥ずかしいから、後で読んでくれよ。それと、日記っつっても2、3日に一度ぐらいしか書いてねえし」
「うん」
そうして、大事そうに机にしまうと、「オレも書く」と言い出した慎吾。
「大学通ってるお前と違ってこれといった出来事とかねーけどさ、あった事とか思ったこととか書くから」
「何か交換日記みたいだな」
「すげえアナログ。でも嬉しい。だって手書きじゃん。メールよりも全然嬉しいし」
慎吾は大いに気を取り直し、テンションも俄然上がったようでした。


そうこうしているうちに、十二時を回っていました。
どこぞのお店の高級弁当を持って現れたのはかの木下君です。静かに弁当を置いて去る間際、ギロリと和己を睨みつけて行く事を忘れません。
今は気にしないで置こうと、和己は弁当の蓋を開けます。
「しっかし高そうな弁当だなぁ。こんなん良いのか」
「今日は、良いやつ頼んだんだよ」
鮮やかで贅を尽くしたそれは美味しい弁当に、二人は舌鼓を打ちます。
ご飯を頬張りながら、慎吾が何気なく「オレ、後で風呂入ってくるから。いつがいい?夕方?」と聞いてきました。
一瞬考え、ぶほっとお茶を噴出しそうになった和己は、「今聞かなくてもいいだろ」と呟きます。
「だって今思い出したんだよ」
「て、いうか、な、…だ、大丈夫なのか。そういう事して。この部屋の防音とかそういうのはどうなってるんだ」
「大丈夫だって。両隣の部屋には誰もいないから。廊下の前を通ったやつには聞こえちまうかもしれないけど、でも今日はオレの部屋に絶対近づくな!って言ってあるし」
「ホントか…?下手に誰かに聞かれようもんなら、『ウチの坊ちゃんに何さらすんじゃボケェエエ!!』って事にならないか?」
「だーいじょうぶだって〜」
にこにこしながら、大した根拠もなさそうに見える慎吾の言葉に、一抹の不安を覚えつつ、やりたいと思っていたのは事実なのでとりあえず納得しておく事にしました。

その後、お風呂に入ってきた慎吾と、そりゃもう色々と和己は励みます。久しぶりだったのでつい張り切りすぎましたが、結果的にお互い大満足したのでした。
そうなると互いを離しがたくなってくるのが人情ですが、時計は刻々と時を刻み、気付けば七時を回っていたのでした。
「今日、何時までいて大丈夫かな」
「一日一緒にいていんだからさ、12時までいてもいんじゃね?」
「いやさすがにそういうわけにいかないだろ。お前のお袋さんだって、いい顔しないだろうし。九時頃には帰らねえと」
「九時って早くね?後二時間しかねえよ。次会えるの三ヵ月後なのに。10月だぜ?」
「仕方ない。約束したことだから」
慎吾は不満そうにしましたが、仕方なく了承しました。
暫くすると再び木下君が運んできた夕飯を食べ、一息つきます。
「後ちょっとだ。こうしてられるの。…お前の顔よく見とこ」
そう言って、和己の顔を間近で覗き込み、更に顔をベタベタ触ってきます。
「おい。んな顔触る必要ねえだろ」
「だって。忘れないようにしとかねえとさ。感触とか」
「それならさっき二人で触っただろ。…色々と」
「そうだけどさぁ…」
頬を触り、額を触り、鼻の頭を撫で、唇を撫で、首筋の匂いを嗅ぎ、擦り寄って抱きついてきたので、和己も抱き寄せたのでした。



やがて九時を回ってしまいました。名残惜しい気持ちは二人とも一杯でしたが、門外まで慎吾は和己を見送ります。そして最後、ぼそりと言いました。
「また、三ヵ月後来てくれよ?」
「当たり前だろーがこの馬鹿」
軽く慎吾の頭をはたき、唇に軽いキスを落として、和己は島崎組の屋敷を後にしたのでした。


再び、慎吾に合えない寂しい日々が始まりました。しかし寂しがってばかりはいられません。きちんと前の向いて突き進まなければいけないと、会いたい時は日記を書いて気を紛らわしたり、勉強に勤しんだりして時を過ごしていきました。
会った時に、慎吾に凄いと言われたくて、テスト勉強に必死に取り組んだり、課題に取り掛かったりしました。
その内段々と、自分は慎吾の為に何が出来るだろうと考え始めます。幸いな事に和己は経済学部だったので、慎吾が仕事に携わる時は、何かの役に立てるかもしれないと思ったりもしました。
今自分がしている事は、慎吾の為になり、慎吾の為になるという事は自分の為にもなる事だと考え、一層猛勉強に励むのでした。
そうして再び、三ヶ月がたちました。前回ほどではないものの、相変わらず長かった日々に溜息を何度も付きましたが、ようやくその日を迎えることが出来ました。
季節は十月、前回会った時は夏でした。こんな風に長かったら、本当に気持ちが萎えてしまう事があるのかもしれないとまでうっかり考えてしまうのでした。自分には無くても、例えば慎吾の方に。
そんな考えを慌てて打ち消し、前回と同じようにデイバックを担ぎ、屋敷へと向かいます。

丁度九時に呼び鈴を鳴らし、門が開くと、なんと目の前に慎吾がいました。この前と違い、スーツは着ておらず、白いシャツにブルゾンを着込み、下はジーンズという普通の格好でした。
「和己」
少し照れたように、俯きつつも上目に和己を見ます。可愛く思い、思わず抱きしめた和己は三ヶ月ぶりの慎吾の感触に感無量でした。
慎吾もまたしがみつきつつ、「今日は何も無かったから、待ってた」と言いました。
「そっか…」
うっかりそれだけの事に涙ぐみそうになった和己。涙腺が弱くなっちまったのかなと自嘲します。