夜桜お慎5
”一時間ぐらい待たされて、やたらと物々しい式典が始まった。大広間に居並ぶのは全国の有力組長と幹部が何十人も。威圧感が半端無い。一般人が間違って紛れ込もうもんなら間違いなくチビるレベル。ちょっとでも礼儀を失するような行動を取ったり、そう見なされようもんなら、ひと悶着起こったりする。今の時代はまだマシらしいけど。絶対面倒だからこういう所には関わりたくなかったのに。すげえ疲れる。主に精神面が”

”もう経済的に自立出来てんだからヤクザなんか辞めりゃ良いのに”

最後に、慎吾の本音かと思える一文で最後は締めくくられていました。和己も、もしそうなったら少しは慎吾と乗り越える塀が低くなるのになと思いつつ、それでも男同士という大きな壁は依然、でんと構えている事を、忘れる事は出来ませんでした。

日々を過ごす中で、和己は毎日日数を数えます。慎吾に会えるまで、後51日。慎吾に会えるまで、後50日。それはとてもとても先の長いカウントダウンでした。しかし数えずにはいられません。また、こんな風にも考えます。365日の中で、慎吾に会えるのはたった4日だと。
『一年に四回しか会えねぇんだぜ?何だよそれ…有り得ねぇ』
今になって、慎吾の言葉が甦ります。和己は、三ヶ月に一度は会える、と前向きに考えたつもりでした。しかし慎吾の方がより現実的に考えていたのかもしれないとさえ思いました。
三ヶ月に一回って事は、1/92日って事だ、いや違う。一日とは言っても、実際に一緒にいるのは午前九時から午後九時までだ。つまり半日だ。1/184って事だ。和己は、そんな風に思います。会えない時間が、身を切るように辛く感じることもありました。そんな時は慎吾の日記を読み返します。慎吾も頑張っている。自分がヘタれている訳には行かない。この提案に慎吾を巻き込んだのは自分なのだから、と。

あれから、二年が経ちました。相変わらず和己は、三ヶ月に一度の日を心待ちにして過ごす日々を送っています。慎吾もまた、同様でした。
和己は三回生になり、季節は十月を迎えていました。今日は慎吾に会いに行く日です。いつもどおり、バックパックに自分の書いた日記とお土産を詰め込んで、屋敷へと向かいました。その日も慎吾は玄関で待っていました。慎吾が和己を迎える時の表情はいつも変わりません。待ちわびていた事を、嬉しそうな笑顔が伝えてくれました。その変わらない慎吾の想いに、嬉しさと、しかし少しの後ろめたさとを感じるのでした。

初めて、慎吾を抱いたのは高校二年の秋でした。慎吾の事を好きでした。しかしその日から、慎吾に対する気持ちは和己の中で一部内容の違うものに変化していました。それは、こいつを繋ぎとめておく為なら何だってしてやるいう、どす黒い感情でした。

慎吾で部室に二人きりになると、背後から急に抱きしめました。甘く名前を読んで、こちらを向かせ、髪に手を差し込んで深く口付けました。腰に手をやり、より身体を引き寄せました。その後ぼうっとしている慎吾の頭をあやすように撫で、帰るかと、優しく言いました。慎吾はただ頷いていました。
誰もいない家に呼んだ時は、再び慎吾を抱きました。大事に扱い、熱っぽく好きだと囁きました。お前程大事なものは無いのだと、態度でずっと示してきました。そうして自分しか見えないように仕向けようとしました。心の隙を突くように、ふとした瞬間に、これでもかと見せ付けるかのように愛情を注ぎ込みました。自分無しではいられないように。
初めての時に、確かに慎吾は自分の手に落ちてきたと感じていましたが、駄目押しのように何度も繰り返しやりました。まるで親離れする子供の自立心を削ぐように、自分という存在から離れられない恋人に仕立てようと、そんな状況に追い込もうとしました。

慎吾はいつだって和己を見ていました。大好きだと、例え親に反対されようが、殆ど会えない日々でさえ乗り越えて、今も和己の事をただただ好きでいるのでした。
慎吾は最初から和己のことをとても好きでいたのは間違いありませんでした。しかし和己はそこに黒く染まった自分の感情でもって更に慎吾をからめ取ろうとしました。慎吾が今も一途に和己を好きでいるのは、そのせいなのか、それとも本来の慎吾の好意から来るものなのか分かりませんでしたが、おそらく両方だろうと和己は考えていたのでした。

「これ、日記な」
「おう。オレのはこれ」
互いに部屋で日記を交換しあいます。
「今回のも凄かったよお前のは。日々何かかしらあって。オレにはやや刺激が強いっつーかな」
「そー?屋敷からあんま出てねーしさ。んな面白いもんでも無いかと思ってたけど」
「いや、全然オレのよりすげーよ。まあ、環境が環境だしなぁ。あ、それでこれは今回の土産な」
そう言うと和己は、木彫りの牛の置物を差し出しました。
「…あのさ、前から言ってっけど、土産持って来る必要ねえし。どっか旅行行ったわけでもねんだからよ。しかもいっつもチョイスが意味不明なんだよ」
「んな事ねーぞ。来年は丑年だからな。だから牛の置物なんだよ。飾っとけよ、これも」
「オレの部屋が段々土産物屋みてーになってきてんだよ。なあ、見てみろよ。あそこの棚の上の空間だけ浮いてっだろ?すげカオスだろ?」
毎回和己は律儀に何かを持参していたので、今や棚の上は様々な民芸品で一杯でした。
「そうか〜?まあ、とにかく置いとくな」
(全然聞いてねえよな、人の話。マジで)
「それでどうなんだ。相変わらず続いてんのか。例のオカマ家庭教師とは」
「おい、言い方に気をつけてくれよ。続いてるとか。付き合ってんじゃねーんだから。…まぁ、相変わらずしごかれてるよ。日記に書いたけど」
「そうか」
「でもオカマでも、有能っつーのは事実なんだよなぁ。オレどうも、殆ど会社だけ手伝わされるみてーなんだよ。まぁ、ヤクザ業務なんて今やあってないようなもんだし」
「オレはそれで良かったと思うよ。お前が危険な事に関わって無いならそれに越した事無いからな」
「やっぱ兄貴が担当するんだろうなって思うんだけどさ。年に二、三回の会合も結局親父と兄貴だけで行く事多いし。…てかさ、そろそろ良い?」
そう言うと慎吾はそろそろと距離を近づけてきて、ぽすっと和己の身体に寄りかかるのでした。和己も背中に腕を回します。
「和己の匂いがする」
「お前いっつも言ってるぞ、それ」
少し笑いつつ頭を撫でます。
「だって久しぶりだから。いっつもそう。だから匂いとか確かめるっつーか」
和己は更に少し力を加えて、ぎゅうっと慎吾を抱きしめました。慎吾の首筋に額をすり寄せます。
「後、五ヶ月だ」
「うん」
「辛かったり寂しかったら、遠慮なく言えよ。日記に書いたりとか」
「寂しいのはいっつも寂しい。それと不安、だった。四年もあったら、和己が来なくなる日が来るんじゃないかとか」
「馬鹿な事言ってんな」
「…うん」

『和己に会いたい』
日記には稀に、そんな一言が添えられることがありました。本当は、胸に渦巻いているそれを、少しだけ日記にこぼしているのだと思いました。それを目にするたび、自分も会いたい、こんな目に遭わせてすまないと、そんな強い気持ちに襲われていました。それでも何とか、ここまでやってきたのだと、後暫くの辛抱なのだと自らに言い聞かせます。そして、たった一日会える日には、出来るだけ慎吾を安心させようと努めていました。また同時に、目一杯の愛情を注ぐのでした。

そんな和己が、トイレに立った時の事でした。慎吾の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、中庭の池の淵に座り込んでいるスーツ姿の男性がいました。最初は組員の人かとも思いましたが、それにしては線が細く、極道の屋敷には不似合いな様子でした。ぼうっとした様子で鯉に餌をやっているようでしたが、ふと天を見上げたかと思うと、横を振り返りました。和己と目が合います。
年は三十代後半ほどに見えました。一見してサラリーマンのようで、やはり場所に不釣合いな感じがしました。とにかく目が合ってしまったので和己は会釈をします。男性は暫し和己をじっと見た後、「君は見た事無いな。誰かな」と尋ねます。
組員には基本的に和己の事は、慎吾の友人とだけ伝えられていました。
「友達、です。あの、慎吾君の」
少々動揺しつつもそう返しましたが、男性は少し首を傾げました。
「慎吾の友達がここにいるなんて変だな。友達がここに来るかな」
男性は立ち上がると、庭から廊下へと上がってきました。
「僕は父です。慎吾の」
そう言って、手を差し出してきました。驚愕しつつも、慌てて手を差し出して握手し、名乗りました。
「あの、河合、と申します」
慎吾の父といえば、組長のはずでした。想像していた人物とは随分と印象が違っていたので面食らっていました。
「良かったら後でまた、話聞かせてくれるかな。何も聞いていないもんだから」
にっこり笑って、慎吾の父は去っていきました。

和己はとにかく慌てて慎吾の部屋に戻りました。

「え、親父帰ってんの?」
慎吾はぱちくりと瞼を瞬かせて言いました。
「帰ってんの?ってお前知らなかったのか」
「いや、普段殆ど家に居ねーからさ。つかよりによって今日かよ」
「なあ、後で話聞かせてくれとか言われたんだよ。何も知らないみてーだったぞ、お前の親父さん。オレの事何も」
「じゃあ、お袋が話してなかったんだな」
事も無げに慎吾が言います。
「お前、何でそんな呑気なんだよ。また言わないといけねえのか?慎吾と付き合ってるんです、って。そしてまた別れろとか言われたらどうすりゃいいんだよ」
「ん〜〜、でも大丈夫じゃね?ちゃんとお袋と話した末でオレらこうやってルール守ってやってんだしよ」
「そうか。…そうだよな」
和己は部屋を落ち着かなさげにウロウロとしていましたが、やがて自らに言い聞かせるように言いました。
「それにしてもお前の親父さん、何ていうかこう…あんまりヤクザっぽく無かったんだよな。サラリーマンみたいな感じというか」
「あぁ、まあ殆どサラリーマンだからな。今の仕事。つか元が極々一般人だったし」
「そうなのか?」
「うん。お袋が大学に通ってる時にさ、親父に一目惚れして付き合って、結婚して、入り婿、みたいな。親父もまさか付き合った当初は、極道やってる家の一人娘とは思わなかったみてーでさ。最初はそりゃもう驚いたらしいよ。蓋を開けてみたらびっくり、どころじゃねえよな〜」
ねえよな〜なんていうどころの騒ぎではないと思いましたが、しかしその台詞に和己は少しの光明を見出しました。
「でもなんだか、オレにちょっと境遇が似てないか?うん、似てるかも。だってそうだろ?一般人と、極道の人間の組み合わせってあたりが。意外と組長といっても、オレの気持ちを少しは分かってくれたりだとか…」
何とか前向きなほうに考えたい和己はそんな風にひとりごちます。
その時ふと、以前に慎吾のお兄さんが言っていた言葉を思い出します。
”この事が親父の耳に入るとちょっと面倒な事になる””河合君には最悪、東京湾に沈んでもらう事になる”
うああああああ!!和己は心の中で悲鳴を上げ、実際には頭を抱えてうずくまりました。
「東京湾に沈むだとか…そんな話がもしかして、また浮上したりなんてしたら…」
これ以上無く気弱に呟きます。
「んな心配しなくて大丈夫だって。最近は沈めてねーよ?ウチの組」
昔は沈めてたのかよ!と慎吾に全力で突っ込みたくなりました。
「それにさ、親父は基本、穏やかだから。何かっつーと怒鳴る組員とはちょっと違うし」
「そうなのか。そうだといいけどな」
相変わらずの慎吾の平静ぶりに、安心したいと思いつつ、拭えない不安も抱える和己なのでした。

日が落ち、そろそろ七時になろうかという頃、木下君が、組長がお呼びだから夕飯を一緒に食べるようにと伝えにきました。
とうとう来た、とまるで赤紙が来たかのごとく震える和己と、面倒臭えな、と呟く慎吾が共に、広間に向かいました。
何畳あるのかも分からないような広間には、既に慎吾の父、母、兄が揃っていました。また、どこぞの料亭の懐石のごとき食事も並べられていました。
「あぁ河合君、慎吾、座って座って」
慎吾の父は気さくに声を掛けてきます。既に話は伝わっているだろうと思い、和己は戦々恐々としていましたが、その親しげな様子に心の重石がごろごろと転がり落ちたような気がしました。
また気が軽くなると、周りを観察する余裕も出てきました。例えば慎吾の父はとても若く、端正な顔立ちのインテリ系といった感じでした。瞼が重そうなあたりは、慎吾の兄や慎吾に似ているようです。慎吾の母は相変わらず、凄みのある美しさです。思わず緊張してしまいそうな程の厳しい雰囲気をまとっています。
食事はそのまま、和やかな雰囲気で始まりました。
「河合君は、野球部の主将をやってたんだよね?」
「はい」
「実は一回だけこっそり、試合を見に行った事があったんだよ。秋大会だったんだけど。いや〜あの時の君は格好良かったなぁ。こう的確に指示を出したり、ランナー刺したり。かと思えばヒットも打つし」
「…恐縮です」
どこぞの芸能レポーターのような返事を返します。
「ところで河合君は、いつ知ったの。ウチの家の事情」
「あ、その、卒業してから慎吾と連絡が取れなくなって。それで心配になって、こちらに訊ねてきてしまいました」
「そっかー。慎吾はこれまで誰にも話してこなかったし。それは一吾もだけど。でも心配してわざわざ来てくれるなんてな。今だってこうして家に来てくれて。慎吾、いくらなんでも突然連絡を絶ったりしたら駄目だろ。友達思いの河合君を心配させるみたいな事して」
え?と和己が思った瞬間、慎吾の母が静かに口を開きました。
「あなた、河合さんは友達ではありませんよ」
「?友達じゃない、って?チームメイトって事か?」
「そうではないんです。慎吾と河合さんは高校時代にお付き合いをしていたようですよ」
「は?」
この時、和己の頭は真っ白でした。と同時に、一旦転がって無くなったはずの心の重石が天からドスドスと落ちてきたような感覚に陥っていました。