夜桜お慎60〜69
 部屋、というには広すぎる室内で、戸を開けっ放しにして悟は中庭を眺めます。午前中は休むと決め、のんびりとした良い気分の中で一子に膝枕されながら、つかの間の自由を噛み締めます。
「一子さん、まだ二人がちっちゃかった頃の事覚えてる?」
「いつの話です?」
穏やかに一子は先を促します。悟は半ば独り言のように続けます。
「一吾と慎吾と裕樹がさ、まだ五、六歳の頃だったかなぁ。三人で中庭でかくれんぼしてて。その時、今みたいに部屋からそれを眺めてたんだ、二人で。一吾が鬼で二人が隠れたんだ。中庭も広いから時間がかかったんだけど暫くして裕樹は見つかって。だけどいつまで経っても慎吾が見つからなかった。段々と嫌な予感がして。一吾も裕樹も不安な顔になって。もしかして池にでも落ちたんじゃないかって。
悟がまさに今朝感じたように、背中が寒くなるような感覚に襲われたのでした。
「あぁ、覚えてますよ。あの子はちょっと放浪癖があるのかもしれませんね」
おかしそうに一子が後を続けます。
「皆が心配し始めた時、何事も無かったみたいに裏庭に続く細道から慎吾がトコトコ歩いてくるんですから」
「そうそう。一吾は『かくれんぼは中庭の中だけだって決めただろ』って物凄く怒ってた。慎吾は頭をゲンコツで殴られて泣きそうになって、でも口をへの字にして堪えてたな」
その光景を思い出したのか、どこか遠い所を見るように悟は目を細めました。
「その慎吾が、何か両手に持ってるなと思ったら、こっちに走ってきて、『お父さんにあげる』って言ったんだ。両手一杯のドングリを」
慎吾はかくれる所を探しているうちに、裏庭へ続く細道にドングリが落ちているのに気がついたのでした。その後はドングリの事で頭が一杯になり、夢中になって裏庭で拾っていたのです。
『あげるけど全部取ったら駄目だよ。お兄ちゃんと裕樹にもあげるから』
そう言った慎吾は何て可愛いかったのだろうと、先ごろまでの心配を他所に思ったのでした。

「小さい頃はあんなに可愛かったのに…」
 やがて慎吾は成長します。月に一度程度しか家に戻らない悟にとっては、それがとても早いように感じられたのでした。
 慎吾が十歳になった頃、久しぶりに遊園地に行こうかと悟が誘うと、友達と約束してるとすげなく断られたのでした。
『てゆーか、今時親と遊園地とかいかねーし』
そう言ってさっさと出て行ってしまいました。
「もう僕はあまりの豹変ぶりにどうしていいのかと思ったよ」
「第一次反抗期ですよ、あなた」
冷静に一子は教えます。
「中学に上がったら上がったで野球ばっかりするようになって。しかも彼女まで出来たとかいうから家に連れておいで、って優しく言ったのに」
『こんな家連れてこれるわけねーじゃん。馬鹿みてえ』
慎吾はいっそう冷め切った目で吐き捨てたのでした。
「僕はただ立ち尽くすしか出来なかったよ…」
思い出したのか、涙を少し溜めて弱弱しく言います。
「第二次反抗期ですよ、あなた」
「でも、高校に上がってからようやく落ち着いて、いつの間にか身長も伸びて、あぁこれで男同士の話も出来るななんて思っていたのにだよ?」
 慎吾は高校での野球に情熱を傾けており、たまの休みも練習でいない始末でした。すれ違いばかりで中々顔を合わすことさえ出来なかったのです。 しかし高校を卒業し、今度こそゆっくり親子水入らずで話も出来るかと思ったところへ何と、図体の大きな男の恋人を連れてきたのでした。
「この時ばかりは天地がひっくり返るぐらいの衝撃を受けたよ。正直、あの男を海に沈めても良いぐらいの出来事だと思った。というより父親としてやるべきなんじゃないかってね」
「まぁ、驚くのは分かりますけど。私だってさすがに度肝を抜かれましたし。でも父親として海に沈めるって発想は一般的ではありませんよ」
悟の発言に突っ込みつつも、やはりその時ばかりは表面上冷静に装っていた一子でさえ、常識から逸脱した状況に、戸惑いを覚えていたのでした。
「それでも時間というのは偉大ですね。二人の気持ちを見極める為に設けた四年間でしたけど、同時に私達が冷静に考える猶予期間でもあったんだと思います。これだけ強く想い合っているのなら、これ以上口を挟む事も無いんじゃないかと思えるんですよ」
しかし、これには悟は反論します。
「一子さんはそんな風に思えるかもしれないけど、僕は納得できないな。その後の河合の不遜な行動は何だ。勝手にウチに入社を決めて、しれっと報告して、こっちの怒りが頂点に達すると、すかさず慎吾を思うが為だみたいなしおらしい態度と言葉で丸め込もうとする。でもやってる事はこっちに喧嘩を売ってるようなもんだっただろう!」
「私には策士振りを寧ろ褒めているように聞こえますよ」
「褒めてない!」
ムキになって言い返します。
「でも、河合さんの働きぶりは真面目ですよ」
「それもヤツの作戦なんだ!」
すると、ふう、と一子は溜息を付きました。
「あなた、悔しいだけなんでしょ。慎吾を取られたみたいで」
「悪いか!」
「悪くないですよ」
くすくすと楽しそうに一子は笑うのでした。



 和己が組に入ってから、八ヶ月以上が過ぎていました。季節は既に冬を向かえ、土日に課される屋敷の掃除(特に床の雑巾がけ)が身に堪える時期です。それに加え、兄貴分の久保からは、年始年末は特に忙しいからしっかり働くようにと言われていました。

「会社の忘年会もあるし大変そうだなぁ…」
ついつい深夜、慎吾の部屋でボヤきます。
「まあな。組の行事だけでもクリスマス会だろ、忘年会だろ、大掃除に正月も待ってるしな」
「待て、クリスマス会?」
うっかり聞き逃しそうになりましたが、ヤクザらしからぬイベントが混じっていました。
「うん、クリスマス会。でっかいツリー飾るから。それとプレゼント交換もするし。お前も何か用意しとけよ」
慎吾は平然と言います。
「ヤクザがクリスマス会とかすんのか?キリストの行事だぞ」
「あぁ、あんまそういうの関係無えから。要は楽しむためのイベントだろ?」
そんな事を言われても、いかつい組員達がクリスマスツリーに飾り付けをし、チキンを食べつつプレゼント交換をする、という図はあまりに違和感がありました。
「じゃあ、姐さんや一吾さんも参加すんのか?その会に」
どうにも違和感は拭えません。
「兄貴は途中参加かな。酒の差し入れして、暫く飲んだら下がっちまうな、部屋に。お袋は…どうだろ。ちょっと覗きに来るぐらいか。ちなみにオレはバリバリ参加すっけど」
「マジでか」
「マジで」
 そもそも一体どんなプレゼントを用意すれば良いのか、全く検討も付きません。その筋の人間が喜ぶものといったら、酒やタバコぐらいしか思い浮かびませんでした。しかし酒は既に用意されているでしょうし、タバコは人によって好みもバラバラです。そもそもプレゼントとしてタバコというのも微妙だと思いました。
「何を用意すりゃ良いんだ…。さっぱり検討もつかねえよ」
「去年なんかはDVDプレーヤーとか喜ばれたけどな」
「家電かよ。高ぇなぁ」
「後は時計とか。妙に派手な」
「ますます高え」
「ネクタイとかで良いんじゃね?一番下っ端なんだから許してもらえるだろ。あ、でも派手なのにしとけよ。基本、金とか銀が好きだから。そこを押さえときゃ大丈夫だろ、多分」
慎吾に有り難いアドバイスを貰い、和己はほっと胸を撫で下ろしたのでした。


 暫くして、怒涛の年末がやってきました。まずはクリスマス会です。その日は意地で仕事を終わらせ、慌てて会社を後にします。「彼女と約束でもあるのか?」などと囃し立てられましたが、和己にとって、そんな楽しいイベントでは勿論ありません。

 組に戻るとすぐ食事のセッティングから座布団の用意、ツリーの飾りつけ、ビンゴゲームの商品の用意など、忙しく動き回ります。勿論他の組員も手伝いますが、やはり一番働かねばならない立場です。実際に会が始まった頃には組員の中で一番疲労の色を濃くしていました。
 後は適当に食べていよう、と末席でのんびりしていましたが、こういった場でそういうわけにも行かないのが現実でした。酒の酌をされ、返杯をし、と何かと落ち着きません。またこのクリスマス会は組の中で人気があるのか、非常勤組員も参加し、総勢五十人以上が広間に集まっていたのでした。

 クリスマス会は深夜に及び、しかしまだまだ終わる気配がありませんでした。疲労と酒のダブルパンチでダウン寸前の和己は、広間の角に凭れ掛かって天井の辺りを、焦点が定まらないまま眺めていました。
「和己」
誰かが呼んだ、とぼうっとする頭で反応し、近くに焦点を合わせると、こちらを覗き込んでいる一吾の顔がありました。
「大丈夫か。もう下がっていいぞ。ご苦労だったな」
その言葉は天使の声に聞こえました。辛うじて礼を言い、フラフラになりながら広間を後にしたのでした。

 着替えるのも、歯を磨くのも面倒臭い、とにかく早く横になりたい。そんな思いで部屋の扉を開けると、何故か布団が既にしかれており、しかもそこで横になっていたのは慎吾でした。
「おっせーよ。待ってたのによ」
慎吾の文句も右から左へ通り抜けていきます。上着を脱ぎ、掛け布団をめくって慎吾の隣に潜り込みます。
「狭い」
慎吾が待っていたことに対しては全くの無反応で、文句だけを短く言うと、そのまま寝入ろうとします。
「ちょ、おい!寝んなよテメ」
「……」
既に返事も返ってきません。これでは何の為に待っていたのか分からない、と慎吾は一人憤慨します。その時でした。
「おお〜い和己ィ!!」
酔っ払いの大声が襖の外から聞こえてきたのでした。

 慌てて慎吾が布団に潜り込むのと、襖が開くのは同時でした。
「何だ?寝てんのか?」
了解も得ずに入ってきたのは兄貴分の久保でした。右手に一升瓶、左手にはコップを持っています。大声で否応無く睡魔の海から覚醒させられた和己はギョっとします。慎吾が隣に寝ているのです。三下の自分の部屋に、若頭である慎吾が居るだけでもまずいのに、一緒の布団で横になっているなんて事がバレてしまったら大事でした。半身を起こしつつ、早く久保に出て行ってもらうしかないと、疲労しきった頭で考えます。
 一方の久保は、和己の隣にもう一人分、布団が膨らんでいる事に気付いたようでした。
「何だお前!女連れ込んでんのか!」
この場は肯定するしかありません。それ以外に言い様もありません。「実はそうなんです。すみません」と冷や汗を浮かべながら謝罪します。久保はというと、「オレん時はそんな事は許されなかった」だの、「オレなんて二年もご無沙汰なのに生意気だ」だのと愚痴を並べます。このような場面に遭遇しても、出て行くどころかどっかりと畳に腰を下ろして酒を飲み始める始末です。
 そしてひとしきり愚痴を言った後は、和己の連れ込んだ女に興味を抱いたようでした。「ちょっとぐらい見せてくれてもいいだろ」なんて食い下がってきます。和己が懸命に辞退すると、そんなにイイ女なのか、と言い出しました。
「いえ、普通です」
そんな風に返すと、脇腹を布団に潜り込んだ慎吾に思い切りつねられました。
「痛って!」
つい声を上げてしまったのでした。

 久保のおしゃべりは留まる所を知りませんでした。余程酔っているのか、この状況にも拘らず部屋に居座ったまま延々喋り続けます。
「オレぁ、お前の事は認めてんだよ。素直に言う事聞くしな。大学出でも態度だって謙虚だしよ。土日だけとはいえ、地味でしんどい屋敷の仕事も頑張ってるじゃねえか」
そこで一升瓶を傾け、ごくりと飲み干します。
「近頃の若いもんにしちゃお前はちゃんとしてる」
久保は精々、和己の二、三歳上のはずでした。
「オレん時は床の雑巾がけがしんどくて三日目にサボってたら兄貴に往復ビンタされたし、五日目に仮病使おうとしてぶっ飛ばされたし。…まぁ、そうは言ってもお前は土日だけだからな。毎日のオレとはまた違うよな」
真っ赤になった顔でだらだらと喋り続けます。そんな中、布団の中の慎吾はというと、いい加減に飽きてきたのか、和己の体を触り始めました。最初は撫でている程度だったのですが、布団に隠れている下半身を、明らかに何らかの意図を含んで撫で回し始めます。和己は慎吾の顔を探り当てて、頬をつねったりと抵抗するものの全く気にせず、ついにベルトを外しはじめました。更にファスナーを下ろし、そろそろと股間に手を伸ばし出します。
「……!」
このままでは色んな意味で限界だと悟った和己は、打開策を打ち出します。
「あの、久保さん。そこにあるの、プレゼント交換で貰ったヤツなんですけど」
「んあ?」
タンスの前に置きっぱなしだった箱を指差します。
「中身、金のネックレスだったんです。凄い有り難かったんですけどオレには分不相応で。…良かったら、貰って頂けませんか。日頃から、何かとお世話になっていますし」
「!」
久保は明らかに”金”の言葉に反応しました。箱を開け、モノを確認すると「ホントにイイのか?」とチラチラと表情を伺ってきます。「是非」と言い、ついでに「慣れない準備で疲れていて、実は結構眠いんです。明日も仕事があるので、休んでもいいでしょうか」と下出に出つつ窺います。すると久保も、おお悪かったな、なんて言いながらようやく部屋を出て行ったのでした。

 ようやく目の前の久保から開放された和己は布団を捲り上げます。
「寒ィ」
「人のズボン脱がせようとしてる奴が文句言うな」
「まだ脱がしてないし。ていうかちょっと面白くなってきたトコだったのに」
「ふざけんなよ慎吾。落とし前つけて貰うからな、色々と」
”色々”の部分を強調します。
「…疲れてんじゃなかったっけ?」
若干引き気味に返しますが、「お前のお陰で元気になっちまってな」と慎吾を睨めつけたのでした。





 和己が組へ入ってから、丸一年が過ぎていました。慎吾とは組員の目に付かないように逢瀬を重ね、これまでの所は順調に行っていました。ですが時折、隣で眠る慎吾を見ていると思うのでした。
「(コイツは麻薬だなぁ。一回覚えると忘れられない。オレはもうすっかり中毒みたいなものだ。コイツを嵌めたつもりが、実は嵌められてたのかも知れねえな)」
寝床での色っぽい様子とは打って変わって、眠りに付くとその表情はとてもあどけないのでした。そして起きると甘えてくるのです。ずっとこうしていたいと、離れがたいと言いたげに。
「(オレは計算して嵌めた。お前はどうなんだ。計算なんて言わねぇよな)」
 和己の複雑な胸中を他所に、慎吾の寝顔はどこまでも健やかなのでした。


 それはとある日の土曜でした。和己はいつも通り早起きをし、廊下の雑巾がけを熱心に行なっていました。一日ではとても終わらないため、土日に分けて行なっているのですが、それでも信じられないほどの重労働です。下手をすると現役で野球をやっていた頃よりもハードなのではないかと思うほどでした。ちなみに慎吾からは以前、”イイ身体してる”との感想も漏らされました。知らず知らずの内に鍛えられていたようです。体力のある今はまだいいものの、もしこれを何年後、何十年後もやらなければならなかったとしたら出来るだろうか、とつい考えます。島崎組では今や新入りを入れていないという話だったので、そうすると和己はずっと下っ端仕事をやらなければならないという事になってしまうのです。
 将来への不安を感じつつ、バケツで雑巾を固く絞っていると、廊下の五十メートル程先から慎吾が舎弟を伴って歩いてくるのが見えました。そこですかさず立ち上がって脇に避けます。「ご苦労様です」と声をかけ、頭を下げ、慎吾達が通り過ぎるのを待ちます。珍しく組関連の用事だろうかと思った時、慎吾の携帯が鳴りました。歩きながら慎吾は携帯を取り出してフラップを開き、応答しました。
「山ちゃん?!」
その声に、和己も反応しました。下げていた頭をついうっかり上げて、慎吾を見てしまったほどです。
「ちょ、待って。いやだから、今ちょっとマズイって」
慎吾は焦りながら和己の方を振り返りました。何事かと見返します。慎吾は「掛け直すから」と短く言って切り、「来てくれ」と和己に声を掛けて強引に腕を引っ張ったのでした。

「どういう事だ?山ちゃんから連絡が来たのか?」
 慎吾の部屋に連れて行かれた和己は、眉間に皺を寄せる慎吾に問い質します。
「そうだけど、何で今頃。久しぶりに会いたいって言うんだよ」
慎吾が困るのも無理はありませんでした。同窓会や野球部のOB会にも、高校を卒業してからというもの、和己と慎吾は出ずにやってきたのです。高校を卒業して丸五年が過ぎていました。成人式には辛うじて和己のみが参加しましたが、慎吾と会ってはならない約束があった為に慎吾はそれすらも欠席していました。
「これまで散々不義理を通してきたからな。すっかり愛想つかされてるもんだと思ってたけど」
卒業後の進路や近況を聞かれるのが怖かった事もあり、和己はともかく慎吾は殆ど音信不通の状態でした。
「どうすりゃいいかな…」
うーん、と二人で暫し頭を悩ませます。そして和己がばっと顔を上げました。
「いいんじゃねえか?普通に言やいいんだよ。二人とも会社勤めしてるって。たまたま同じ会社に就職したって」
「でも会社名がなぁ…」
「この際バラしちゃえよ。ウチの親父の会社なんだって。要は組のことさえバレなきゃいい話だろ?」
「…そっかな」
「そうだよ。会社を継ぐために忙しくて不義理してた、って理由も出来るしな。突っ込まれたらそう言えばいいだろ」
「そっか、そうだな」
少し考えてから慎吾は納得し、山ノ井へ電話をかけます。しかし通話が始まると再び焦りだしたのでした。
「何で家に来んの?!」
『オレ、一度も慎吾の家に行った事無いし』
「外で良くね?オレ家に来られるのあんま好きじゃないんだよ…」
『オレに来て欲しくないの?結構濃い時間を高校時代に共有してたと思ってたのにずっと連絡取れないし、慎吾ってちょっと冷たいよね』
「や、でも…」
何とか断る事が出来ないかと粘ったものの、最終的には家に遊びに来るという約束を取り付けられてしまったのでした。
「この屋敷はまずいだろ」
「もう仕方ねえよ。つかあれ以上拒否ったら超怪しまれそうだったし」
疲れたように、慎吾は言います。
「でも屋敷はマズイから、叔父さんの家に連れてくわ。昔も一回、その手使った事あんだよ」
慎吾が言うには、父方の叔父の家を我が家として、友達を連れて行き誤魔化した事があるという事でした。
「親父の親戚は全員カタギだしな。今度も口裏合わしてくれると思う」
慎吾はそう言いましたが、和己はひっかかりを感じずにはいられませんでした。山ノ井は何故今になって、しかも家にまで来たいと言い出したのかと。


 当日の日曜は、駅までタクシーで山ノ井を迎えに行くことになりました。運転手付きの車で出迎えるのも大仰で、かといって歩いていくには遠かったからです。

「慎吾老けた?」
 駅前に姿を現した山ノ井は開口一番そう言いました。
「ちょっと待ってよ。酷くね?久しぶりの再会なのに、いきなりそれかよ」
「酷いのは慎吾でしょ。何なの。殆ど音信不通でさ」
「まぁ、結構忙しかったんだよ」
その話になるとどうしても不利になってしまう為、話題を変え、とにかくタクシーに乗せてしまう事にしました。幸いにも山ノ井は余りツッコんだ話題を振ってきませんでした。どうでもいい雑談ばかりをします。

 やがて、例の叔父の家に到着しました。にも関わらず、山ノ井はタクシーから降りようとしません。
「違うでしょ慎吾」
「…何が」
意味が分からず、問い返しつつも、何か勘付かれるような事をしただろうかと記憶を探ります。
「オレは本当の慎吾の家に行きたいの。運転手さん、ここに行って下さい」
ズボンのポケットから小さく折り畳んだ紙切れを渡します。
「慎吾、観念してよ。全部分かってるから」
そう言うと、にっこり笑ったのでした。

「言ってる意味が分かんねーんだけど」
 慎吾は声のトーンを明らかに落とし、山ノ井を少しの威圧感と共に見返します。
「あぁ、そういう顔するんだ。初めて見た」
しかし全く動じることなく、寧ろ興味深げに返してきます。
「悪いけど、このまま帰ってくんねーかな。話になんねーし」
すると山ノ井は溜息を付き「外で話そうか」とタクシーは待たせたままの状態にし、降りるように促したのでした。
「まず分かって欲しいんだけど、オレに悪意は無いから。慎吾の害になるようなことをするつもりは無いし」
慎吾は黙ったままでした。まだ真意が分からないからです。
「本当は、慎吾の部屋ででも華麗に打ち明けたかったんだよね。そんでちょっと驚いて欲しかった。…でも当然か。そんなすんなり連れて行ってくれるわけないよねぇ、組に」
山ノ井の言葉にぴくりと眉を動かしますが、まだ口を出すには早く、黙って喋らせます。
「オレの進路知ってる?…っていうか、誰とも連絡取ってないみたいだから知らないよね」
そう言うと山ノ井は敬礼のポーズを取り、茶目っ気たっぷりに言い放ったのでした。
「実は警察官になりました!」



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