夜桜お慎10〜19
あれから、慎吾に会えない日々が始まり、考えていた以上に辛い日々を和己は送っていました。
(そりゃそうだよな…前は、そのうち慎吾と連絡が取れると思ってたけど、今回は違うもんな。三ヶ月間、絶対に会えないんだ。メールも携帯も駄目なんだ)
二日目にして既に心が折れてしまいそうでした。とにかく慎吾が恋しくて仕方ありません。
大学の講義中も、うっかり心がどこかに漂い出て、気が付けば今慎吾は何をしてるんだろうとか考えてしまっていました。
(駄目だ駄目だ。オレが今するべき事は、しっかり大学に通って立派な大人になって慎吾を迎えに行くことなんだ。迎えにいけるのかどうかは未知数だけど…)
しかしどうしても寂しさは拭えず、そこである事を思いつきました。

そして、日々は過ぎて行き、和己にとってそれは長い、これまで生きてきた中で一番長いと感じた三ヶ月が過ぎました。
自分から、三ヶ月に一度なんて提案をしておきながらこんな体たらくで果たしてこの先大丈夫なのかと不安に思いつつ、とにかく今日は慎吾に会える日なのだと、そわそわしつつも出発する準備を整えます。ちなみに前日は中々寝付けなかったにも拘らず、朝は五時に目が覚めました。
早くに着けば、それだけ長く慎吾といられると思い、午前九時には島崎組の門前に立っていました。

許可を得て敷地内に入ると、ちょうど黒塗りの外車から慎吾が降り立った場面に遭遇します。そしてその周りには出迎えの組員が約二十名ほどが両側をずらりと囲んでいました。
「お勤め、ご苦労さんです!」と組員たちが次々と声を張り上げる中、慎吾は和己の存在に気づいたのでした。
「和、己」


慎吾は黒いスーツに身を包んでおり、パーカーとジーンズ姿でバックパックを担いでいる和己とはまるで別次元の人間のように見えました。
近寄っていいものか、しばし考えてしまい、立ちすくんでいる和己に、慎吾は敷き詰められた砂利を踏みしめながら少しずつ歩み寄ってきます。
しかし十メートル程の距離まで近づいた所で立ち止まり、顔を俯むかせると心細げな声を発しました。
「和己、オレの事まだ好き…?」
びっくりして慎吾の顔を凝視すると、その顔は不安に彩られていました。
「あ、あたり前だろが!だからここにいんだろが!」
慌てて駆け寄ります。
「マジで?」
「マジだこの野郎、この馬鹿!」
「良かった」
はにかむ姿に、三ヶ月という時間は和己だけでなく慎吾にとっても凄く長かったのだと思い知らされました。
「なぁなぁ、中、入れよ。間に合ってよかった。オレ今日ちょっと用事あったんだけど慌てて帰ってきたんだよ」
「ちょっと早く来すぎちまったかな」
「全然。今日一日だけじゃん。長い時間一緒にいてぇし」
屋敷内に入り、早速慎吾の部屋へと移動しました。

しっかり部屋の戸を閉め鍵もかけてから和己に向かい合います。
「鍵、かかるんだな」
「うん」
「……慎吾、お前不安だったのか?オレがお前の事好きじゃなくなるとか思ってたのか」
すると慎吾はうなだれます。
「だって長いじゃん、3ヶ月って。長すぎ。有り得ねえ。オレはこんな屋敷にいて、閉鎖的な環境だけどさ、和己は大学通ってっだろ?世間一般の世界にいて色んな出会いもあるし。…会えない時間って人の想いとか薄れさせるのに十分だと思った。遠距離恋愛が上手くいかないのって結局そういう事だろ?会えないって結構な障害だって改めて思ったんだよ。しかも連絡取り合う手段も何も無えとか…」
「……」
「もしさ…もし、好きじゃなくなっても、そん時は言ってくれよ。言ってくれたらオレちゃんと、理解すっから」
「慎吾」
「だって仕方ねえと思うんだよ。自然の摂理っつーか、そういうのってあんだよきっと」
「慎吾、もう言うな。んな泣きそうな顔して言うな。それこそ有り得ねえからな。どんだけこっちが寂しかったと思ってんだ。お前の顔を見たかった。辛くてマジで泣くかと思ったんだからな」
「…」
「自分から言い出しといて、情けないけどな。ごめんな慎吾。辛かったな」
「う、ん」
頼り気ない顔の慎吾は、頭を撫でられて和己に寄り添うのでした。


その後、二人は出来る限りイチャイチャベタベタして久しぶりの再会を心行くまで堪能していました。
暫くして、「そういえば」と和己がバックパックから何かを取り出しました。
「ナニソレ」
慎吾はこの上なく怪訝な表情を浮かべます。和己の手にあったのは、一体のコケシでした。
「いやな、お前に何か土産でもと思ってな。何が良いのかと思ったんだけど、お前の部屋っつーか屋敷が純和風だろ?和室に合うものって何だろうって 考えて、考えすぎて悩んだ挙句辿り着いたのがコケシだった」
「意味わかんねぇ。別に和物に拘らなくて良いし」
慎吾は明らかに和己のセンスに失望しました。
「やっぱ、赤べこの方が良かったか?実は迷ったんだよなぁ。でもほら、時折寂しくなった時にこれをオレだと思って癒してくれたら良いかなって。心を」
「癒されねえ。間違いなく。お前のセンスが全然分かんねえ」
「まあこれは、この辺にでも飾っておいてくれ」
癒されないと断言されるも全く気にせず、勝手に棚の上にコケシを飾ります。
「何か怖えんだけど。夜とか、こっち見てそうで」
「そんでな、もう一つあんだよ」
若干気味悪そうな慎吾の一切をスルーさせて次に和己が取り出したのは、大学ノートでした。
「これな、日記。オレさ、暇があるとついお前の事考えてて。今何してるんだろうな〜ってそんな事ばっかりな。んで、お前ももしかしたらそうかもしれないって思って、日々の出来事とか書きとめてみた。ちょっとは寂しさとか紛れんじゃないかと思って」
「マジで!これ嬉しい。読む読む。すげえ読むし!」
テンションが上がった慎吾は、パラパラとページをめくります。
「恥ずかしいから、後で読んでくれよ。それと、日記っつっても2、3日に一度ぐらいしか書いてねえし」
「うん」
そうして、大事そうに机にしまうと、「オレも書く」と言い出した慎吾。
「大学通ってるお前と違ってこれといった出来事とかねーけどさ、あった事とか思ったこととか書くから」
「何か交換日記みたいだな」
「すげえアナログ。でも嬉しい。だって手書きじゃん。メールよりも全然嬉しいし」
慎吾は大いに気を取り直し、テンションも俄然上がったようでした。


そうこうしているうちに、十二時を回っていました。
どこぞのお店の高級弁当を持って現れたのはかの木下君です。静かに弁当を置いて去る間際、ギロリと和己を睨みつけて行く事を忘れません。
今は気にしないで置こうと、和己は弁当の蓋を開けます。
「しっかし高そうな弁当だなぁ。こんなん良いのか」
「今日は、良いやつ頼んだんだよ」
鮮やかで贅を尽くしたそれは美味しい弁当に、二人は舌鼓を打ちます。
ご飯を頬張りながら、慎吾が何気なく「オレ、後で風呂入ってくるから。いつがいい?夕方?」と聞いてきました。
一瞬考え、ぶほっとお茶を噴出しそうになった和己は、「今聞かなくてもいいだろ」と呟きます。
「だって今思い出したんだよ」
「て、いうか、な、…だ、大丈夫なのか。そういう事して。この部屋の防音とかそういうのはどうなってるんだ」
「大丈夫だって。両隣の部屋には誰もいないから。廊下の前を通ったやつには聞こえちまうかもしれないけど、でも今日はオレの部屋に絶対近づくな!って言ってあるし」
「ホントか…?下手に誰かに聞かれようもんなら、『ウチの坊ちゃんに何さらすんじゃボケェエエ!!』って事にならないか?」
「だーいじょうぶだって〜」
にこにこしながら、大した根拠もなさそうに見える慎吾の言葉に、一抹の不安を覚えつつ、やりたいと思っていたのは事実なのでとりあえず納得しておく事にしました。

その後、お風呂に入ってきた慎吾と、そりゃもう色々と和己は励みます。久しぶりだったのでつい張り切りすぎましたが、結果的にお互い大満足したのでした。
そうなると互いを離しがたくなってくるのが人情ですが、時計は刻々と時を刻み、気付けば七時を回っていたのでした。
「今日、何時までいて大丈夫かな」
「一日一緒にいていんだからさ、12時までいてもいんじゃね?」
「いやさすがにそういうわけにいかないだろ。お前のお袋さんだって、いい顔しないだろうし。九時頃には帰らねえと」
「九時って早くね?後二時間しかねえよ。次会えるの三ヵ月後なのに。10月だぜ?」
「仕方ない。約束したことだから」
慎吾は不満そうにしましたが、仕方なく了承しました。
暫くすると再び木下君が運んできた夕飯を食べ、一息つきます。
「後ちょっとだ。こうしてられるの。…お前の顔よく見とこ」
そう言って、和己の顔を間近で覗き込み、更に顔をベタベタ触ってきます。
「おい。んな顔触る必要ねえだろ」
「だって。忘れないようにしとかねえとさ。感触とか」
「それならさっき二人で触っただろ。…色々と」
「そうだけどさぁ…」
頬を触り、額を触り、鼻の頭を撫で、唇を撫で、首筋の匂いを嗅ぎ、擦り寄って抱きついてきたので、和己も抱き寄せたのでした。



やがて九時を回ってしまいました。名残惜しい気持ちは二人とも一杯でしたが、門外まで慎吾は和己を見送ります。そして最後、ぼそりと言いました。
「また、三ヵ月後来てくれよ?」
「当たり前だろーがこの馬鹿」
軽く慎吾の頭をはたき、唇に軽いキスを落として、和己は島崎組の屋敷を後にしたのでした。


再び、慎吾に合えない寂しい日々が始まりました。しかし寂しがってばかりはいられません。きちんと前の向いて突き進まなければいけないと、会いたい時は日記を書いて気を紛らわしたり、勉強に勤しんだりして時を過ごしていきました。
会った時に、慎吾に凄いと言われたくて、テスト勉強に必死に取り組んだり、課題に取り掛かったりしました。
その内段々と、自分は慎吾の為に何が出来るだろうと考え始めます。幸いな事に和己は経済学部だったので、慎吾が仕事に携わる時は、何かの役に立てるかもしれないと思ったりもしました。
今自分がしている事は、慎吾の為になり、慎吾の為になるという事は自分の為にもなる事だと考え、一層猛勉強に励むのでした。
そうして再び、三ヶ月がたちました。前回ほどではないものの、相変わらず長かった日々に溜息を何度も付きましたが、ようやくその日を迎えることが出来ました。
季節は十月、前回会った時は夏でした。こんな風に長かったら、本当に気持ちが萎えてしまう事があるのかもしれないとまでうっかり考えてしまうのでした。自分には無くても、例えば慎吾の方に。
そんな考えを慌てて打ち消し、前回と同じようにバックバックを担ぎ、屋敷へと向かいます。

丁度九時に呼び鈴を鳴らし、門が開くと、なんと目の前に慎吾がいました。この前と違い、スーツは着ておらず、白いシャツにブルゾンを着込み、下はジーンズという普通の格好でした。
「和己」
少し照れたように、俯きつつも上目に和己を見ます。可愛く思い、思わず抱きしめた和己は三ヶ月ぶりの慎吾の感触に感無量でした。
慎吾もまたしがみつきつつ、「今日は何も無かったから、待ってた」と言いました。
「そっか…」
うっかりそれだけの事に涙ぐみそうになった和己。涙腺が弱くなっちまったのかなと自嘲します。


慎吾の部屋へ行くと、さっそくのように、慎吾が大学ノートを差し出してきました。
「書いたからオレ。帰ったら読んでくれよ」
「おお、オレのも渡しとくな」
「お前の日記、何度も読み返した。和己も頑張ってんな、って、オレも頑張れた」
「そっか。良かった。…あれは?」
和己が指差したのは、以前置いていったコケシでした。
「あれはまぁ…そこそこ」
そこは言葉を濁しました。
「実は今日は違う土産を持ってきた」
「え!や、そんな気ぃ使わなくて良いし…」
和己が箱の中から取り出したのは、犬張子という昔からある民芸品でした。
「あ、ちょっと可愛い。でも相変わらず和風なんだな」
以前のコケシみたいなのがまた来たらどうしようかと思っていましたが、今回は意外とまともでした。
「じゃあここに飾っとくな」
相変わらず勝手に和己はコケシの横に犬張子を飾りました。

そうしてその日も、出来る限りイチャイチャして二人は過ごすのでした。
しかし八時頃、慎吾の部屋に一本の内線電話がかかってきました。その時はまだベッドの上で二人は抱き合っていたのですが、鳴り止まない電話に慎吾が切れ、開口一番こう言いました。
「今日は絶対繋ぐなっつーったろーが、あ?埋められてーのかコラ」
以前よりも凄みが増したような気さえする低音で慎吾は相手を静かに威圧します。久しぶりに極道=慎吾の図を目の当たりにしてしまい、暫し固まります。
「は?知らねーよ!来んなっつっとけ」
電話越しの攻防はまだ続いているようです。
「だから来んな!つってんだろーが!おい!…くそっ」
ガチャッと乱暴に慎吾は受話器を下ろし、「兄貴が来る」と一言言いました。
「な、え?うわ、ホントかよ!」
素っ裸だった和己は焦ります。慌てて服を身につけ、ベッドの乱れを直し、戸を開けて換気をし、それだけでは足りないと思ったのか、うちわで部屋を扇ぎだしました。
「落ち着けよ和己」
「落ち着いてられるか!万が一にもバレたら大変だろが!主にオレの身が」
「だいじょーぶだって。兄貴なら。さすがにお袋だったら嫌な顔すっかもだけど」
「当たり前だバカ!お前のお袋さんにもしこんな…」
何かを想像してぶるる、と身を震わせました。先ほどまで慎吾に「好きだ」と熱く囁き、身体をわさわさ触っていた人間と同一人物だとはとても思えません。


それから五分ほどして、慎吾のお兄さんが姿を現しました。
「河合君、久しぶり」
「ひ、久しぶりです。何というか、挨拶もしなくてすみません。お邪魔してます」
それまで慎吾に色々やっていた事の後ろめたさから、どもり気味に、かつ下手に出ている和己でした。
「そんな畏まらなくていいから。ていうかごめんね急に。河合君が来てるっていうから、久しぶりに会ってみようと思って」
「来なくていいっつってんだろ」
「そんな、こちらこそホントすみません」
「どう?半年経ったけど。やっぱしんどい?」
「それは、凄くしんどいです。やっぱり好きですから…会えないって、凄く…大変な事なんだと思いました。好きでさえいれば、会えなくてもきっと大丈夫だなんて、経験してないから言えたのかもしれません。それでも、オレは最後までやり遂げるつもりですし、そうじゃなきゃ駄目なんです」
正座で背筋をぴんと伸ばし、拳を握り締めつつも、決意を固めた表情で、そう語る和己。
「そっか。強いなぁ、河合君は」
「いえ、そんな」
「慎吾なんて、よくぼーっとしたりしてんだけど、そんな時いっつも君の事考えてるしさ。この間なんか、マンガみたいに、廊下の柱に頭ぶつけてたんだよ。笑えるでしょ」
「ちょ、てめ言うなっつったろーが!」
「君の事がどうにも好きなんだなって思ったよ」
「……」
和己は少し、顔を俯かせました。
「つーかマジでもう行けよ!オレらの時間無くなんだろ」
そう慎吾に急き立てられて、お兄さんは部屋を出て行きました。
「和己…どうかした?」
俯いたままの和己に、慎吾が声をかけます。
「いや、何でもねえ。やっぱお兄さんは威厳があるなと思った。雰囲気に圧されちまったなぁ」
「そうか?」
「そうだよ」
その後、残されたわずかな時間を過ごしつつ、惜しみつつも再び二人は別れました。

「どうだった?二人の様子は」
広い座敷で、花を活けつつ訊ねる慎吾母。
「そうですね、健気に頑張っているようですよ」
「まだ一年目ですからね」
「このまま四年間、頑張るかもしれませんよ。…もしかすると逆効果だったのでは?障害があって逆に盛り上がってしまう事になるかも」
「それが分かるのはまだ先の話でしょう。時間というのは思いの他大きい障害ですからね。特に若い人には。冷めてしまうのに十分な時間だわ」
「…そうですか」
「貴方はどうなの。どうなれば良いと思ってるの」
「結局、慎吾が幸せならそれで良いんですよ。ただ、別れたほうが幸せなのか、別れない方が幸せなのかはまだ判断がつきかねますが」
「普通は、別れた方が最終的には幸せだと思うのではないの?」
「それは、二人次第ですかね。見守りますよ、取りあえずはね。そういう事でしょう?」
「…そうね」
パッチン、と音を立てて大きな牡丹の花の茎を水切りし、慎吾母は花器に活けるのでした。


家に帰り、またこれから三ヶ月慎吾に会えないのだと思うと、和己は言いようの無い寂しさに襲われます。改めて自分の出した条件の厳しさを痛感させられます。何故あんな事を言ってしまったのか、いや仕方なかったんだ、といった事がぐるぐる脳内をループしますが、どうにもなりません。
そこで気分転換の為にも、早速慎吾の日記を読んでみる事にしました。
慎吾は律儀に毎日日記を書いていたようでした。綺麗な字でノートが丸々埋まっていました。
初日は、和己と一緒に過ごした事が、それは嬉しかった旨を切々と書いていました。じんわりと胸が温かくなります。
しかし二日目はこんな内容でした。

”今日は兄貴と舎弟2人で、返済期限を一ヶ月も過ぎている野郎の元へ追い込みをかけに行くことになった。”
初っ端から度肝を抜かれます。そもそも金融業はやっていないと慎吾は言っていたはずでした。
”(闇金はやってないけど、その筋の人間相手に、普通の金融業は細々続けてるから)”

注釈を読んで、少し安心しますが、しかし追い込みをかけるとは穏やかでない一文です。

”久しぶりのガチ追い込みに、兄貴がテンション上がりっぱなしでウザかった。この日のために作ったんだとかって、フェラガモの靴の踵に鉄板を仕込んだ特注靴をいそいそと履いていた。フェラガモに対する冒涜だ。”

お兄さんは意外とお茶目だったりするのか…?と思いったりしましたが、内容が内容なのでそんな話でも無い気がしました。

”そもそも、仮にもいずれ跡目を継ぐ人間がする仕事じゃねーのに、ストレス解消に最高だとかってわざわざついてくる。現場に着いたら着いたで、ご自慢の靴でいきなりターゲットのアパートの扉を蹴り倒した。フェラガモに謝れ”

もしや、ずっとこんな内容の日記が続くのかと危惧しつつも、読み進めます。

”呼びかけも無しにいきなり扉が蹴倒されて最初こそ野郎が呆気にとられてたけど、そこは同業者だけあって「なんじゃコラアァ!」と歯向かってきた。それぐらいの反応をしてくれないと、兄貴をはじめ付いて来た舎弟も遣り甲斐が無いので、生き生きとしていた。最近は中々こういう機会も減ってるから”

最近のやくざ事情は、昔とは変わってきているようです。

”兄貴は取りあえず「期限が過ぎてますよ、一ヶ月も」と、穏やか〜に話しかけ、「無いもんは無いんじゃ!」と期待通りの反抗をしてくれた途端、無言で顔面に自慢の靴で容赦ない蹴りを入れた。その一打で歯が何本かと、鼻の骨も折れてた。鼻血が物凄い出てた。兄貴は、ヤクザにはよくあるタイプの、突如キレるスタンダード型だ。これで大抵の人間は戦意喪失する。が、そこに更に舎弟が出番とばかりに、テーブルやタンスを蹴倒したりしつつ、部屋の中を荒らしまくる。自分の身に起こっているショックな出来事にダブルで襲われて、混乱の中で降参するしかなくなる。オレは着いていったものの、結局眺めているだけだった。兄貴と舎弟が張り切りすぎるから。”

慎吾が参加してなくて良かったと思いつつ、ヤクザの現場というものを日記を通して知ることになり、軽く血の気が引きます。二日目からしてこんな内容では、この先一体どんな日記が続いていくのだろうとページを捲る手も重くなるのでした。


慎吾の淡々とした文面とは隔たった血生臭い内容に、軽いショックを受け、読むのは一日一回にしようと決めました。
その後、一日一度の慎吾日記を和己が読んでいくと、こんな風な内容でした。

”今日は兄貴が偉そうに、『ヤクザってのはハッタリが肝心だからな』とかってレクチャーし始めた。どれだけ相手をビビらせられるかが肝なのだとか言ってたけど、脅す前に相手の顔面を蹴り飛ばす奴に言われたくない”

”もう半年は経つのに、経済の事を学ぶべく学校に進学するという話が全然出てこない。おふくろに聞いたら、家庭教師をつける事にしましたとかしれっと言い出した。勘弁してくれ。これ以上野郎ばっかりの屋敷にいたらストレス溜まっておかしくなりそうだ”

”家庭教師とやらが来た。普段は親父の会社で活躍する右腕だとかいう話だったけど、どう見てもオカマだった。しかも妙に筋肉質。『あらやだ!お父様がかっこよくてらっしゃるから息子さんはどうなのかしらと思ってたけど、予想以上に可愛いじゃないの!”とかって張り切りだした。和己助けて”

血生臭い内容からは離れたものの、別の意味で危険な事になっていました。

”オフクロに抗議に行ったけど、『有能なんだから我慢しなさい』とかって却下された。オレに人権は無いのかよ”

慎吾母の発言権は、予想通りとても強いようです。

”今日もオカマとの勉強会。オカマのくせに妙に厳しい。頑張って仕上げたレポートを見せたら『これで将来お父様の仕事が手伝えると思っているの!』とかって丸々再提出させられた。いつかボコる”

”今日もオカマは元気だ。あのエネルギーはどこから来るんだろうと思う。オレはずっと机に座りっぱなしでエネルギッシュなオカマとマンツーマン。マジで死ぬ”

”今日は屋敷を抜け出した。あのままいると精神がヤられる。裕樹も当たり前みたいに付いて来た。鬱陶しいけど仕方が無い。久しぶりに買い物をした。調子に乗って、服とか靴とか沢山買った。和己がお土産持って来たから、オレも何かプレゼントしたい。何がいい?”

何が良い?って日記で聞かれてもな…と考えつつ、一般人とはかけ離れた日常を送る慎吾を思うのでした。


”オカマは午前中に3時間きっかりで勉強会を切り上げて、会社へ午後出勤する。お昼からがようやく気を抜ける時間だ。のんびり昼飯を食ってたらいきなり引退したはずのじいちゃんが手に木刀を持ってパシーン!て障子を開けてきてビビった。いつまで食ってるんだとかって言われて道場に連れてかれて、剣道の真似事らしきことをさせられた。こちとらずっと野球しかしてこなかったのに、なにをどうすればいいのかさっぱり分からない。何かと怒鳴られて、やたらめったら打ち込まれて痣になった。マジで助けて”

ちょいちょい慎吾のヘルプが入ってくるな…と思いつつ、あちらはあちらで大変そうだな、とも思う和己でした。

”今日は高島組の先代の命日だから、親父と兄貴が大阪まで行く。かと思ったらオレまで連れてかれた。勘弁してほしい。あんなヤクザばっかり何百人も集まるところに行きたくない。どいつもこいつもきな臭くて血生臭くて、挙句に前科持ちだったり現在進行形で犯罪者だったりする”

高島組というのは、ただの一般人である和己でさえ聞いたことのある名でした。日本最大の暴力団組合です。そんな名前が出てきた事、また、慎吾の家も関わっているのかという点に驚かされます。極道の事は分からないことだらけでした。

”高島組に着いたら、横山組の組長(50代のオッサン。パンチパーマにグラサン、縦縞のダブルスーツにヒゲっていうベッタベタのヤクザ。時代に取り残されすぎ)がなれなれしく声を掛けてきた。随分と景気がいいという話を聞いてますよ、とか、このご時世に羨ましい、だとか言ってきた後、オレに随分立派になったなぁ、とか言ってきた。知らねーっつの。挙句、ウチの娘と丁度いい年頃で、とか言い出した。マジ勘弁してくれ。コイツ似の娘ってどんなだよ”

また凄い事になってきてるな…とさすがに慎吾の身が案じられるのでした。
ブログでの文章を、多少修正しています。

  
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