夜桜お慎70〜79
山ノ井の言葉にも、慎吾は眉を寄せて黙ったままでした。
「あのさぁ、もっとリアクションしてよ。ちょっと無愛想になったんじゃないの?オレが警察学校通ってるって聞いたら皆、驚いてくれたのに。山ちゃんが警官かよ!怖ぇな!みたいなさ」
「それとオレの事とどう繋がるんだ?」
一本調子で返します。
「なんか和己みたい。凄いガード固いよね。キャラ変わった?」
「別に」
「どこのエリカ様?…まぁ良いや。警察学校でさ、配属先の希望を出すんだけど。どういうわけか教官に熱心に勧められたんだよね。お前は組織犯罪対策部に行ってくれ、いや行くべきだ。向いてる、って」
「……」
「これって有望って事だよね。そこまで言われちゃうとオレとしても断れないっていうか。本当は、市民の平和を親身になって守る交番の警察官を目指してたんだけど、希望が通って本庁の組織犯罪対策部第三課に配属されました!」
そう言うと誇らしげに胸を張りました。
 そこまで言われれば嫌でも事情が飲み込めました。山ノ井の所属する課は暴力団対策等を担当する部署でした。
「つまり、そこで知ったんだな?」
「そういう事。でも別に他意は無いよ。最初にも言ったけど」
山ノ井は担当地域の資料に目を通す内に、島崎組の存在を知ったと言います。
「正直運命だと思ったね。だってこんな偶然無いでしょ?」
うきうきとした様子で話す山ノ井に対し、あくまで慎吾はクールでした。
「それで急に会いたいとか言い出したのか?悪いけど、警官の山ちゃんに用は無いよ。さっきも言ったけど帰ってくれ」
しかし山ノ井は動じるどころか、ふふふと笑いました。
「やっぱりそうなんだ。実は半信半疑だったんだよね、会うまでは。資料に組長とお兄さんの名前は載ってるけど慎吾の名前まではない。殆ど組の運営に関わってないんでしょ。元々秘密主義の組みたいだけど」
言われた言葉に、冷たく睨み返します。自分をハメた山ノ井の言動が、癇に障ります。
「酷いなぁ。そんな顔隠してたなんて。知ってたらうっかり惚れてたかも」
もはや山ノ井に何を言っても無駄だと慎吾は悟りました。「ウチに来ても何も出ねえぞ」と投げやりのように言います。事実、探られて困るような事は今の島崎組にはありませんでした。あるとすれば会社運営の事実ですが、屋敷に来た所でそれがバレようはずもありません。変に拒否すれば逆に怪しまれる可能性も無くはありません。
 。山ノ井は、ただ、課の誰も踏み入れた事の無い島崎組に行ってみたいのだと、慎吾に都合の悪い事をするはずが無いのだと強調しました。そうして待たせていたタクシーに慎吾を促し、自らも乗り込んだのでした。

 やがてタクシーは島崎組に到着しました。山ノ井は興味の塊のような顔で、屋敷を取り囲む高くて長く続く壁を見回しています。ただのミーハー根性のように見えますが、まだ油断は出来ません。何もやましい所は無い事を理解させ、後はお茶でも飲んで帰ってもらおうと考えます。
 ただ一つ問題があるとすれば、それは和己でした。土日の訪問客の応対をし、出迎えるのは和己の仕事だからです。そこで邸内に入る前に携帯で連絡し、出迎えも応対も必要の無いこと、部屋からも出てこなくていいと短く伝えました。

 自分の部屋へ山ノ井を案内すると、お茶菓子を持って来させ、後は知らないとばかりに慎吾はベッドの上に寝転びました。
「慎吾、あれ何」
山ノ井は部屋の一角を指差していました。そこは、かつて和己が持って来た民芸品が所狭しと並んでいました。
「旅行にでも行ってんの?」
面倒臭くて慎吾がそれを肯定すると、「随分暇なんだね」と返ってきました。
「オレなんて超忙しいよ」
そこから、山ノ井の勤務についての話から、警察学校での話まで様々な話題が飛び出しました。自分とは全く正反対の世界に身を置く山ノ井の話は興味深いもので、気がつけば高校時代のように話は弾んでいるのでした。
「つーか、そんな規律に縛られた生活、よく耐えられるよな。考えらんねえ」
「でも野球部にいたからね。その辺は鍛えられてたせいか、思ったより順応できたよ。それに、オレが警官になった、って言った時の皆の反応が楽しみだったし」
「そんな事の為によく身体張るよな」
「いや勿論、正義感があってこその決意だから」
「嘘くせーよ山ちゃん。限りなく」
すると慎吾ヒドイ、やっぱり変わった。オレに対する愛が無くなった、なんて言うので、「無いから元々。山ちゃんに愛とか」と返します。やはり山ノ井との会話はぽんぽん弾むなと慎吾は思うのでした。

 その内山ノ井は、島崎組の代紋が見たい、と言い出しました。何か裏が無いか慎吾は頭をめぐらせますが、これといって思い当たりません。見るだけならと約束し、山ノ井を大広間へ案内したのでした。

 その大広間は、主に冠婚葬祭や重大な話し合いが行なわれる際に使われる所でした。和己が一吾と義兄弟の杯を交わしたのもそこです。広さは実に四十畳程もあります。奥には島崎組と、そして高島組の代紋が並んで飾られていました。
「桜がモチーフなんだね」
島崎組の代紋に山ノ井が感想を漏らします。一見、校章のようにも見えるそれは、しかし角ばった印象で、一線を画していました。
「あれは?」
山ノ井が指さしたのは、代紋の右隣に貼り付けられている大きな紙でした。紙には墨でこう記されていました。

”一、サツの世話になるべからず”
”一、カタギに迷惑をかけるべからず”
”一、仁義を忘れず、地域住民に優しい島崎組を目指すべし”

「あれウチのスローガン」
昔はもっとヤクザらしい、堅苦しく血生臭い文言が記されていたのですが、悟が組長に就任して数年後に書き直されたのでした。
「なんか選挙事務所のスローガンみたい」
最後の一文を読んで、山ノ井はそう感想を漏らしました。

 あまり、組に関係の無い人間がうろうろしていい場所では無かったため、慎吾は再び自分の部屋へ、山ノ井と共に戻ります。


 ガラガラ、ピシャ、と部屋のガラス戸を閉めた時でした。
「ところでさぁ、和己知らない?」
ギクリ、と思わず身を竦ませます。屋敷内に居る和己が咄嗟に頭をよぎりますが、冷静になろうと努めます。知るはずが無いのです。
「慎吾もだけど、和己も相当音信普通っぽかったよ。成人式には会えたけどさぁ。連絡来てない?」
 淀みなく堪えなくてはいけないのに、どう返答したものか迷いました。慎吾と和己が同じ会社に就職したと言えばいい、というのは組の事がバレていない前提での話でした。慎吾はまず、自分が会社に勤めている事を隠さなければならなくなりました。組と会社の関係を警察関係者である山ノ井に知られるわけにはいかないのです。

「和己とさ、結構仲良かったじゃん。でもやっぱそんな連絡取ってないの?」
「あー、あんまな。つか、オレがコレだからさ。誰とも殆ど連絡取らなかったし」
「それって辛いでしょ」
「…まーな。誰とも連絡をロクに交わさないってのはやっぱな、寂しくないっつったら嘘になるけど」
「じゃなくて、和己と連絡取れないのが」
「…何が?」
再び和己の名前を出されてひやりとしますが、表面上はあくまで取り繕います。
「慎吾はさ、ずっと和己の事が好きだったんじゃないかなと思ってた。なんとなく、そんな気がしてた、ずっと」
「意味分かんねーし、唐突だし、マジで何言ってんの?」
暫く、山ノ井と慎吾は沈黙したまま互いの顔を見詰め合っていました。しかし「まーいーや」と山ノ井はあっさり目線を外しました。慎吾はといえば、まあいい、どころの話ではありませんでした。一体どこまで感付かれているのか空恐ろしくなります。山ノ井が人一倍洞察力に優れていて、たまたま気付かれただけにしても、何かをうっかり口にすれば、そこを鋭く指摘してきかねません。山ノ井は、慎吾が会わなかった六年の間に、”ただの恐ろしい山ちゃん”から”恐ろしくて天敵の職業についた脅威の山ちゃん”に変貌してしまったようでした。
「でもさぁ、なんか運命的だよねぇ」
今の緊張感をあっさり崩して、ついでに格好も崩して(部屋のラグに足を大いに伸ばして)のんびりと言います。
「オレが警官、慎吾が極道。こういうの小説かなんかで読んだ事ある。旦那は警官、妻は泥棒!みたいな。…あ、慎吾今度警視庁来る?カッコ良く働くオレの姿に惚れるかも」
「惚れるか!つうか行くかよ!何でヤクザが警視庁だよ。ノコノコ何しに行くんだよ。捕まりにか?!」
「そんなムキにならなくてもいいんじゃん。オレだってココに来てんだし」
「そこがおかしいだろまず!あのさ、何あっさりと敵地に見学に来てんの?うっかりツッコみ忘れてたけど!他の奴らに行き会わなかったから良かったけど、もしかしたら山ちゃんの顔知ってる奴がいるかもだろ。オレが警官と繋がってるとか疑われたらどうすんだよ。ウチの今のウリはクリーンなヤクザだからな?!」
「慎吾落ち着いてよも〜、ていうか、全然喋らないと思ったら急に喋るようになったね。ようやく調子戻ってきた?」
目の前の山ノ井の頭を叩いて今にも追い出したい気持ちに駆られます。
「それにしてもクリーンなヤクザか。ヤクザがクリーンとか、既にヤクザじゃなくない?」
はっとします。うっかりいつもの調子でツッコんだ所を突付かれて我にかえりました。この流れで、一体何をやって生計を立てているかなどという所に話が行きかねない状況でした。

 しかし結局、山ノ井はそこに話をやりませんでした。そろそろ帰ろうかななどと言って、茶菓子を全部平らげてから悠々と帰って行ったのでした。慎吾としては最後まで釈然としません。何かに感付いているように思わせて、あえて肝心の部分には触れてこないような、山ノ井の態度に。わざとやっているのかとさえ思いました。そこで最後に聞いたのです。
「結局何しに来たんだよ」
すると山ノ井は清々しい笑顔で言いました。
「言ったじゃん。慎吾に会いに来たんだよ。それと、慎吾の困った顔見に。困り果ててる顔って凄く可愛いよ。高校ん時思ってた。でも中々見せてくれないから物足りなくて。だから今日は凄く期待してた。予想外に無愛想でちょっと残念だったけど、でも内心困ってたでしょ。だからまぁ良いや。そこそこ満足できたし楽しかったし」
目の前の男が山ノ井でなければ、それこそ見知らぬ男であれば張り倒してやりたいと思いました。
「慎吾をこれを期にさ、時々会ってよ。普通に縁が切れちゃって寂しいとも思ってるんだから。外でなら良いでしょ?」
「良くねーな。基本、親しげに会っちゃいけない立場なんだよお互い。勘弁してくれ」
これを言うのが精一杯の反抗でした。反抗とは言えないようなものでしたが。
「慎吾冷たい〜。でもいいや、今度は和己に何とか連絡取ってみよう」
まったく傷ついた様子もなく、そう言ってのけ、呼ばれたタクシーに乗って帰って行ったのでした。慎吾としては最後までやられっぱなしの苦々しい時間となりました。

 心底疲れきった面持ちの慎吾は、そのまま和己の部屋へと直行します。一体何がどうなったのかと問い質そうとする和己に無言で抱きつきます。
「…慎吾?大丈夫か?」
「も〜ヤダ。最悪。…疲れた…」
何があったのか分からぬまま、しかし数時間のうちに疲労感を滲ませる慎吾の頭をぽんぽんと優しくたたき、背中を撫でます。慎吾は慎吾で、磨り減った精神を回復させようと、甘えることにしました。

「山ちゃんが更に強くなって帰ってきちゃった。どうしよう」
 和己が気遣いつつ話を促すと、そんな事を言いました。それからポツリポツリと語りだします。よりによって対極の職業に付いていた事、組のことがバレた事、先程まで屋敷でくつろいでいた事などです。恐ろしい事実に耳を傾けながら、和己は体を強張らせていました。取り締まる側の立場でありながら邸内を平気で歩いていたという山ノ井の神経が理解できません。
「つーかぜってー前より根性悪くなってっし!何だろ職業病?話もおちおち出来ねーし!」
話すうちに怒りが湧き起こってきたのか語気を荒くしつつ愚痴を零します。
「でももう会わねえんだろ?大丈夫だろ」
「いやそれがさー」
その時でした。和己の携帯がブルルと震え、メールの受信を知らせてきました。尻ポケットにいれていたそれを取り出し、差出人を見て驚きます。
「山ちゃんだ」


”和己元気?アドレス変わってないよね?実はさっきまで慎吾と会ってました。何か運命的な再会だった。色々話してすっごく楽しかったよ〜(^^)これを期にさ、また会っていきたいなと思ってるんだよね。和己もさ、久しぶりに会おうよ。連絡取ってないなら慎吾とか皆の近況とか知りたくない?色々話題あるよ”
文面に目を通している間、「どうせ会おうとかそういう話だろ」と慎吾が言いました。
「オレ達の事は気づかれてないよな?気付くはずないし」
和己の表情は険しくなります。
「それが山ちゃんさ、オレが高校ん時に和己の事好きだったんじゃないかって言い出したんだよ。忘れてた」
あの言葉で更に肝を冷やされたのです。
「…運命的な再会だったって書いてあるぞ」
「そりゃあれじゃん。オレがヤクザで山ちゃんが警官っていう事だろ。シャレになんねーっつーの。何考えてんだ」
「すっごく楽しかったって」
「山ちゃん一人が楽しかったんだろ。独壇場だった。はっきり言って。…まぁでも、嫌なツッコミして来なきゃフツーに楽しかったのに」
「何話してたんだ」
「さっき言ったじゃん」
きょとんとして今の今まで抱きついていた和己を見上げます。
「楽しかった、の部分で何話してたんだ?」
「別にどーでもいーじゃん」
「何でだ」
「…?…何が?」
二人の間に沈黙が落ちます。暫く和己が考えるような仕草をしたと思ったら猛烈な勢いでメールを打ち始めました。
「何打ってんの?」
「ちょっと山ちゃんと会ってくる」
「待て待て待て待て」
慌てて携帯をひったくります。
「何すんだ」
怒ったように言います。
「何すんだはこっちの台詞だろ。何 山ちゃんの術中にハマってんだよ。会ってどうすんだよ。お前の近況を喋るのか?島崎ホールディングスに就職したって?バカだろ」
「馬鹿とは何だ!大体…大体な!」
「山ちゃんとは会わねーのが最善なんだよ!」
「何でそんなに会わせまいとするんだ?」
「はぁ?意味わかんね。何言ってんのマジで。馬鹿じゃねーの。バーカ」
「あぁ?」
「付き合ってらんねーよ。つーか会うなよ。どーせボロ出すんだからよ」
言い捨てて慎吾は部屋を出ます。ついさっき自分がボロをいくつか出した事は遥か彼方にありました。トンチンカンな事を言い出す和己に苛立ちながら、廊下をずんずんと歩いていったのでした。

「久しぶり〜。成人式ぶりだよね」
 一週間後、ノコノコと術中にはまりに行っている和己の姿がファミレスにありました。
「さてと」
席に着くなり山ノ井はメニューを熱心に眺め、呼び鈴を鳴らすと立て続けに四品注文します。
「デザートは後で」
かしこまりましたと笑顔で会釈する店員を見送ると、ドリンクバーへと立ちます。色々聞きたい和己を他所にどこまでもマイペースに振る舞い、ゴクゴクとオレンジジュースを飲み干すと窓を見やり、「今日すっごく暑くない?まだ五月なのにさぁ」とどうでも良さそうな世間話を始めました。しびれを切らして和己が話を切り出します。
「今、何してるんだ?」
「うん、あのね、警察官」
ここで和己は不自然にならないよう気を使いながらそれなりに驚いて見せました。
「でもって準キャリア。本庁勤務の山ノ井巡査部長二十四歳独身です!」
ビシッと敬礼ポーズを決めてみせます。
「…?」
「あ、ごめん。これ合コン用文句だった。まぁとにかく、そういう事」
「それって凄いのか。凄いよな、巡査部長って。良く分かんねぇけど」
純粋に驚きます。良く分かりませんが、エリートなのでしょうか。
「別にそうでもないけど。キャリアとは全然違うし。まぁあれは一握りの特権階級みたいなもんだから別枠として。でもノンキャリに比べたら出世スピードが結構違うから。和己今何してるか知らないけど、収入も安定性もオレのがぶっちゃけ上だと思う」
「そう…なのか」
別に競うつもりはありませんでしたが、男として負けたような気にふとなります。
「それで?和己は今何してんの」
丁度届いたビッグサイズのステーキハンバーグを見やりながらフォークとナイフを手に取り訊ねます。
「会社員だよ、普通の」
「へ〜。どんな職種?」
「ホテル業」
「それって何。和己がいらっしゃいませとか、そういうのやんの?何ていったっけ。ドアマンとか、そういう」
「いや、オレは本社勤務だから」
「へえ」
感心したように言いながら、大きく切った肉を頬張ります。
「何ていうホテル?」
肉を租借し飲み込むと、喋ります。山ノ井の口は休む事を知りません。
「余り知らねえかも。ホテルハルシオンとかボウストリングスホテルとか」
「ごめん知らない」
あっさり言い切ると、付け合せのジャガイモを一口で頬張ります。何だか悔しくなり、折角だから彼女と一緒に泊まったらどうだ、と薦めてみます。
「結構いいホテルだから気に入るぞ。今は早割りとか色々あるから比較的気軽に泊まれるし。あ、高収入の山ちゃんには無用の心配か?」
負け惜しみのような台詞になっている感じは否めません。山ノ井は付け合せのニンジンをフォークで刺し、それを眺めながら「彼女ねぇ…」と独りごちます。
「そういえば慎吾なんだけど、会ってる?」
何故、”彼女”のキーワードから”慎吾”に繋がるのかと、和己は邪推します。

「会ってないけど。山ちゃんは会ったらしいな」
「そうそう。元気そうだったけど、なんか距離感感じた。でも話してくウチに打ち解けたかな。やっぱ高校の三年間ってのは濃い時間だもんな。学生の時に時間が戻った感じだった。色々話しててさ、やっぱ良いなって思ったよ」
「どんな事話したんだ」
「色々」
その色々が聞きたいのだと、その為にわざわざ出向いたのだと、和己ははやる気持ちを抑えて先を促します。
「例えば?」
間を置いて唐突に山ノ井は言いました。
「慎吾って可愛くない?」
どういう意味なんだ、と問い詰めたくなります。
「ガードが固くて愛想も良い人間の、本当の中身を見るのって楽しいよね」
表現がどうにも抽象的でした。
「慎吾って結構、可愛いと思う。ていうか可愛かった。普段違うんだけど、ていうかそう見えるんだけど、意外と中身は繊細」
ぱくり、とようやく眺めるだけだったニンジンを食べました。
「話してて思った。高校ん時もちらっと垣間見えてたんだけど、それが会った時により見えた。しかもお互いの立場的にドラマチックだったからさ、慎吾が女だったら惚れてたね。つか何としてでも付き合ってたと思う」
嫌な予感が大当たりしたようで、内心舌打ちしたい気分でした。
「質問の答えになってないんじゃないか?」
「まぁ、そこは守秘義務みたいな?詳しくは慎吾に直接聞いてよ」
今度はコーンスープが運ばれてきました。ハンバーグステーキよりも後に運ばれてくるのは何でだろう、早く出来そうなのに。などと言いながら熱いスープを飲み始めます。
「女だったら有り、って事は当然男だから無いんだよな。一応聞くけど」
啜っていたスープ皿から顔を上げます。
「どう思う?」
「どう思うって何だ」
ついうろたえます。
「男だから無しだと思う?和己は」
「何でオレに聞くんだ。自分の事だろ」
可能性として有りえると言いたいのでしょうか。冗談じゃないと、段々我慢の糸がプツプツ切れていくような気がしました。
「わかんないから聞いてみた。ていうか和己はどうなの。彼女いるの」
「いねぇよ」
ぽんぽんと変わる話題に、何より慎吾への好意を示唆する言葉に、苛立ちが混じります。
「そうなんだ。作らないの」
「良いだろ、どうでも」
この対応はまるで良くない、理性的な部分でそうは思っていても、もはや山ノ井と渡り合って会話する気力もやる気もあまり残ってはいませんでした。
そしてテーブルにはサラダが到着しました。この順番てどうなんだろう、間違ってるよね、と一人呟き、サラダを食べ始めます。
「よく食うな」
まるで野球部に所属していた時のように、次々と食事を平らげていく様子に感想を漏らします。
「ストレス堪ってるから。食べ物でちょっと解消?タバコも吸わないしさ。…そういう和己は食べないね。デカイのに」
「腹減ってねえんだ」
「でもちょっと太った?ていうか肉付き良い気がする。触って良い?」
そう言うと立ち上がり、身を屈めておもむろに肩や二の腕、果ては胸の辺りを触りました。
「硬いじゃん。筋肉?筋肉付くような仕事じゃないよねえ」
ギクリとします。筋肉の元は、土日のハードな床拭きや、炊事洗濯から作られたものでした。
「ちょっと鍛えてるんだ。運動不足になるから」
「ふうん」
そこで、初めて回っていた口を止めました。和己をじっと見つめます。
「同期に、同じぐらい筋肉質な奴いたよ。何段だったかな。とにかく強くて学校の柔道大会で優勝してた。和己も余程鍛えてんだ。筋トレ?」
「…まあな」
この山ちゃんは駄目だ、まるで事情聴取でもされているようだと和己は思いました。慎吾の言っていた”会わない方がいい”の意味も分かった気がしました。

 山ノ井が届いたデザートに手をつけようとした時、わざと腕時計を見やります。
「悪い、そろそろ帰らねえと」
「もう?話してない事色々あるよ?」
「用事があったんだ。悪いな、久しぶりなのに」
言うなり席を立ちます。自分のドリンクバーの料金をテーブルに置いて、またメールででも教えてくれと伝えます。
「じゃあまたメールする。慎吾に宜しくね」
にっこり笑う山ノ井を苦々しく思いながら、ファミレスを後にしたのでした。

「だから言っただろーがよ。馬鹿じゃねえの。バーカ」
 一週間前の慎吾と同じように疲労感を滲ませて帰ってきた和己は、夜中に部屋に忍んできた慎吾に、馬鹿呼ばわりされました。
「お前が悪いんだ」
とりあえず慎吾のせいにします。慎吾は当然立腹しました。
「だってそうだろ。山ちゃんと色々楽しかったらしいじゃねえか!また会いたいと思ってるだとか意味深なメールしてきたし!」
しかし慎吾はまるで取り合いませんでした。以前の敗戦投手のようなオレの有様を見ていなかったのかと、的の外れた事言うなと子馬鹿にします。
「でも今日だって、凄く意味深な発言したんだぞ!お前の事が、…可愛いだとか…」
少し声が小さくなりました。できればこんな話を聞かせたくないのが本音でした。
 すると慎吾は少し考え、「バレてんのかもな」と呟きます。
「完全にはバレてないにしても、どっか怪しんでる。オレとお前が連絡取って会ってるのかもしれない、程度に推理してるのかも。多分、野球部のOBで殆ど連絡取れなかったのってオレとお前ぐらいだろ多分。二人揃って何かあったのかぐらいには思うかもな。そんでもってお前を揺さぶってる。つうかチクチクいたぶって楽しんでんだな」
「そんな感じの悪い…」
「だから言っただろ。山ちゃんがパワーアップして帰ってきたって。元々S属性の山ちゃんが、よりによって就いた役職が警官だったものだから余計にタチが悪くなったんだよ」
「にしても性格悪いだろ」
かつてのチームメイトにそんな意地悪をする必要があるのかと和己は思います。確かに山ノ井は厄介で、常にイジる相手を探しているような男でしたが、今回のは冗談というには厳しいものでした。

 すると慎吾は仮説を提示してみせました。
「あれじゃね?警官なんて所詮上下関係の厳しい体育会系の世界だろ。警察学校なんて特にそうらしいし。まぁ、ヤクザも言うに及ばずそうだけど。ストレスでも堪ってんじゃねえの。そこに音信不通だったオレの思いもかけない姿を知った。つついたら案の定楽しかった。ついでに和己も釣れるかもしれないと思った。したら簡単に釣れた。もう独壇場って奴だな、山ちゃんの」
簡単に釣られてしまったという屈辱的な言葉に反論したくなりますが、慎吾の言うところに心当たりはありました。”ストレス溜まってんだ”と言い、バクバク食べていた山ノ井の姿です。
「じゃあつまりオレ達は…」
「山ちゃんの楽しいストレス解消に付き合わされたって事になるな」
暫くしてお互いに深い溜息をつきました。
「腹立たしい事この上無いが、もう山ちゃんには近づかないで置こう」
どう考えてもそれが最善なのでした。
「メールも基本スルーだな。さすがにもう引っかからねえと思ってるかもだけど」
そこで和己は思い出したように言いました。
「そういや山ちゃんに、ホテル泊まりに来いって言ったんだった。まあ会うことは無えけど」
「アホか!ホテル名バラしたのかよ!」
「やっぱマズかった、か…?」
「当たり前だろ!会社名がバレる!」
イビるネタを作ってくださいと言わんばかりだなと、慎吾は大いに呆れ、失望して見せます。
「オレ知ーらね。兄貴に知れたらボコボコにされるかもな。や、それで済めばいいけど。ましてや親父が知ったらお前、本当に沈むかもな。東京湾に」
和己の頭がサアッと冷めてゆきました。知らないとか言うな、お前はオレを見捨てるのかなどと情けない声を出しました。
「簡単にバレないようになってるって前に兄貴が言ってたけど、相手は警察だろ。山ちゃんにもし悪気があったら大変だぞ。下手したら終わりだ。組も会社も」
恐ろしい言葉をぽんぽんと言います。しかしそれは事実でした。最終的に二人は、山ノ井には付かず離れず、良好な関係を保っていくことで結論が一致しました。
 突然登場した山ノ井がもたらしたものは、暫く平穏に過ごしてきた二人を事の他大きく揺さぶるものとなったのでした。