正直、期待していただけに残念な事この上無かった。
格好つけてあんな事言わずに、抱きしめておけばよかったかなんて考えたりもした。
しかし、慎吾はきっとその気になれなかっただろうと思う。
音楽好きにしか分からない拘りなのかもしれないが、それにしても”心を奪われてる”なんてセリフを言われると、余り穏やかではいられない。
今日だって、映画を観終わったら…と我慢していたのだ。あわよくば映画を観ながら自分の前に座らせて背後から抱きしめたりなどと考えていたのに、慎吾の映画ののめり込みようにとてもそんな事は出来そうも無かった。
下手すると『邪魔するな』とか言われそうな勢いだった。
そんな思いは露知らず、アイツは実に自由だ。
大体、気が多すぎるのだ。
野球と、オレと、音楽と、…ムーミンと。
ムーミンをそこに入れていいものかどうかは分からないが、少なくとも自分は慎吾と野球一筋だ。いや、二つある時点で一筋ではないのか。
とにかく来週だ。慎吾もさすがにその辺は察したようだし、エッチまでこぎつけられるかどうかはその時の状況(家に誰かがいるのかどうか)にもよるが、少なくとも触れられるのだ。
しかし一週間というのは中々長い。やっぱり手を出しておけば…いやいや、無理だったんだから仕方が無い、いやでも…と悶々とし、限りなく無駄な時間をその日は過ごしたのだった。


一週間が経った。
実はそれまでの間、部室での着替え中に、後ろで着替えている慎吾をさり気なく盗み見て溜息を付いてしまったりしていた。
自分にとってはそれは長い一週間で、しかもその状況にデジャブを感じてしまうのがまた嫌な所だ。
アイツはどうしてオレが乗り気な時に限って、よそ見したり、他の事を考えていたり、逃げたりするんだ。
嫌がらせか。
気が付けば心の中で愚痴っていた。

しかしいざ、慎吾の家へ向かう頃にはもう頭の中は軽くお花畑だった。正直、鼻歌を歌いながらスキップでもしたいぐらいの勢いだった。
実際にやればまず間違いなく不審者だが。

慎吾の家に着き、呼び鈴を押す。
ドアの向こうからドタドタドタという大きな足音が聞こえてきたと思ったら、ドアを開けて慎吾が飛びついてきた。
「和己!」
余りに積極的じゃないかと気恥ずかしく感じつつも、嬉しさは隠しきれない。
とりあえずご近所の目に触れないようにと、慎吾を抱えてドアを閉める。
しかし急なテンションの上がりようだ。今日、部活帰りに分かれた時は至って普通だった気もするが。
もしかして我慢していたのか。ようやくこうしてゆっくり会えるこの瞬間まで。
しょうがねえなコイツは、なんて完全に舞い上がったおめでたい頭で考えていると、
「コレ見てくれよ!!」
と慎吾が一枚の紙切れを差し出した。
「……チケット?」
その長方形の紙には、日本武道館 6:30 開演 なんて書かれてあった。
「そうだよ!チケットだよ!つか、大事なのはココだよココ!」
慎吾が指差したところを見てみる。
”Aブロック 103番”
「…座席か?」
「そう!いやスタンディングだから席じゃねーんだけどさ。Aブロックって事は一番前のブロックでしかも百番台なんだよ!前だよ前!メンバーの顔も近くで拝めるし。っつか何としてでも一番前に行くけどさ。超有利なわけよ」
ガッカリした。コイツのこのテンションの高さはオレではなく、ライブへと向けられていたわけだ。
…ダメだ、落ち着け。前にも何かと気を揉んでいた時に限って空回りしたりしていたのだ。
また、先週のパターンからいって、このまま慎吾のペースに流されるのも良くない。
まず深呼吸をする。そしてゆっくり口を開いた。
「慎吾、良かったな」
「おう!」
「十二日、練習試合とか入らないと良いな」
「うん!」
慎吾はニコニコしている。
「部屋行って良いか?」
「あ、うん」
慎吾の後について、階段を昇る。
「今日は、家に誰かいるのか」
「今はいねーけど。多分夕方辺りに兄貴が帰ってくる、と思う」
「そうか」
部屋に入るが、未だ慎吾はチケットを眺めてニマニマしている。
「今日届いたのか」
「おう!そうだよ。郵便受け開けたらさ、届いてて。超テンション上がった」
「仕舞っといたらどうだ?無くしたら台無しだろ」
「お、そうだな」
そうして暫し部屋を見回した後、丁寧に机の引き出しへ仕舞った。
「やー、やっぱアレかな。日頃の行いが良…」
慎吾の振り返りざま、おもむろに抱きしめる。
「和、」
口を塞ぐ。
「…ん」

「何…びっくりした」
顔を赤くしながら俯く慎吾の右手は、オレの服の裾を掴んでいた。
勝った、と思った。
いや勝ち負けではないのだが、無事に慎吾の意識を自分に向けることに成功したわけだ。
この勢いのままに再び口付ける。慎吾もその気になってきたようで、口付けに応じ、腰に手を回してきた。
後はこのままベッドになだれ込むだけだ。
「ベッド行くか?」
囁くように言う。
「…うん」
少し恥ずかしげに頷いた慎吾を見て、改めて己の勝利を確信する。
ベッドに慎吾を横たえると、目は潤んでいた。今やライブの事はすっかり消えていて、その目に映るのは自分のみだ。
覆いかぶさり、更に深く口内を貪った。
合間合間に慎吾の吐息が漏れてくる。欲求不満が溜まっていたこともあって、我慢がならない自分は慎吾の服を慌しく脱がせ、鎖骨にキスを落とそうとした。が、
「…何かお前、良い匂いする」
何故か慎吾の身体からは、ブルーベリーのような甘い匂いがした。
「あ。オレボディークリーム塗っちまった、そういや」
「は?」
「結構、肌が乾燥すんだよオレ。んで、お前が来る前にさ、シャワー浴びた後に塗っちまったんだよな。…あ、舐めねー方が良いと思うよ」
「…慎吾、もう一回シャワー浴びて来い」
湧き上がる感情を押し殺し、静かに告げる。
「え〜、面倒臭えんだけど。いいじゃん、出来ねぇわけじゃねーんだし」
不満タラタラといった風に言ってくる。
「ダメだ!堪能できないだろうが色々と!」
「色々ってなんだよ食いモンみたいに言うなっつってんだろ!」
「言ってない!」
「言ってんだろ!」
いやダメだ落ち着け。ここで言い争いをしてどうする。一週間の我慢を無駄にする気か。
溜め込んでいた欲求不満を解消すべく、ああしようとかこうしようとか妄想ばっかりしていたオレは、とにかくヤり倒そうと心に決めていたのだ。台無しにするわけにはいかなかった。
「慎吾、オレはここ二週間お前に触れなくってイライラしてた。正直ずっとお前とヤりたかった。だから、心置きなくセックスがしたい」
ストレートに言葉をぶつける。
「あ…うん」
慎吾はやや固まってオレの顔を凝視し「じゃあ、行ってくる、し」と言うとベッドを降り部屋を後にした。
大きく溜息を付く。
何だか既に少し疲れ始めていた。主に精神面で。
何故こんなにセックスまでの道のりが今回は遠いのか。
…慎吾だ。元凶はアイツなのだ。
人には何のかんのと言う割に、何か目先に気を取られる事があると、途端にオレの存在がまるで空気のようになったりする事があった。

十分ほどして慎吾が戻ってきた。
「ちゃんと洗ったか?」
「うん」
チョイチョイと手招きすると、大人しくオレの腕の中に納まった。
「もう逃がさねえからな」
「え」
がっちりと身体を捉えて、今度こそ鎖骨に吸い付いた。

今日はとても疲れた。今日は、というかここ一週間に於いてとにかく疲れていた。
セックス自体は満足するまでやり切ったのだが、そこに至るまでの過程が軽く拷問だった。
何でこんな目に、と思う。
もしかして三週間前に、慎吾を軽く焦らしてからかった報いだろうか。
しかし、オレの方が明らかに割を食っている。そうに決まってる、と決め付けると家路についた。



あれから三週間が経っていた。
朝練の疲労がまだ抜けきらぬホームルーム前にぼ〜っとしていると、「和己〜」という慎吾ののんびりとした声が聞こえてきた。
「ライブ超良かった!」
そういえば金曜日の帰り道、いよいよ明日がライブ当日だと浮かれきった慎吾が言っていたのだ。
「超ヤバかった。オレの琴線に触れるっつーか掻き鳴らすぐれーの勢い。マジでヨくてさ。なんつーかなー、酔ったね、世界に」
「それは良かったな」
棒読みだ。
しかし全く気にしてないらしい慎吾が、「ほら」と何かを差し出した。
Tシャツだった。
「これさ、バンドのグッズなんだけど。全然普段着でイケるデザインだから。お前に土産にとか思って」
「…あ、そうなのか」
「うん」
「悪いな、何か」
「や、いいよ。だってほら、チケットがすげぇ良番でさ、お前も『良かったな』つってくれたじゃん。んでグッズ売り場で何か思い出して。だから」
慎吾は至って純粋にオレの言葉を受け止めていたようだった。罪悪感と嬉しさが一つになって押し寄せる。
「ありがとうな」
そう礼を言うと、はにかんだ。
結局、コイツのこういう所に全てを帳消しにされてしまうんだな、と自覚しつつも許容する自分がいた。



END