背中が痒い。
冬場を過ぎたので大丈夫だろうと思いきや、寝る前になると、まだ時々痒くなったりする。
オレは乾燥肌だった。少し前まで母親から貰ったクリームを塗っていたのだが、止めた途端これだった。
やれやれと思い、引き出しの中のクリームのチューブを取り出すと、もう殆ど使い切ってしまっていたのを思い出した。
めんどくせぇな…
ちょっとぐらい痒くても、もう放っておこうかと思った。
しかしそこで蘇ってきたのは、クリスマスの日の和己のセリフだった。
『お前って結構スベスベしてるな』
もし今度、和己に触られた時に”ガサガサしてる”なんて言われたら。
部屋を飛び出して階段を駆け下り、キッチンにいた母親に「身体に塗るクリームをくれ」と息せき切って言う。
「何なのアンタ…びっくりするわね」
必死の形相に引いていたが、”ボディーバター”と書かれたクリームの紫色のケースを渡された。
「バター?」
変なネーミングだ。
「それ効くのよ」
効くなら何でもいい。
そうして部屋に戻り、背中のみならずほぼ全身に塗る。結構大変だった。特に背中がどうしても塗りにくいのだ。
その途中で気が付いたのだが、爪も少し伸びていた。
オレは再び階段を降りると、今度はリビングの棚の引き出しから爪切りを出してパチパチと切り始めた。
ついでに足の爪も切ってしまうことにする。
と、今度は自分の脛毛が目に入った。元々体毛は薄いほうなので、正直目立たないし余り気にしたこともなかった。
しかし、いつぞやの浴衣姿で脛毛が全くといっていいほど見当たらない和己の足を思い出した。遺伝だとか言っていたが。
もし、ある日オレの脛毛の存在に目を留めて萎えられたら。
カミソリ!カミソリはドコだ!
再び母親に頼んでカミソリを手にし、風呂場へ向かった。
先程クリームを塗ったばかりなので、そのままスムーズに剃り落していく。
これで完璧だ、と思わず溜息が出た。
「って女子かオレは!!」
すっかり脛毛を剃り落としきってから我に返って、自らの行動にツッコミを入れた。
「アンタ何を風呂場で叫んでんの!」
母親の声が聞こえてくる。
カミソリを洗い、洗い場を綺麗にしてからキッチンに戻りカミソリを返した。
母親は完全に挙動不審な人間を見る目でこちらを見ていた。
「アンタさっきから大丈夫?行ったり来たり落ち着かないし、何か叫んでたり」
「や、大丈夫。ちょっと疲れてただけ」
確かに疲れていた。自分自身に。

「慎吾、ちょっと」
部屋を出ようとすると、兄貴が自分の部屋のドアから顔を出し、呼び止めてきた。
「何」
「これを見ろ」
ベッドに広げられていたのは7、8着はあろうかという服だ。
「…?あ、春物?」
「そうだ。昨日入荷したばっかのヤツな。いきなり給料の2/3が飛んだ」
「程々にしといた方が良くねぇ?何着買ってんだよ。…なんかこのTシャツなんて色違いで三枚もあんじゃん。タダのマニアじゃん。いくら割引利くからって」
「スゲー気に入ったんだよ。形とか。…それより今度、彼女と出かけんだろ」
「…まぁ、そーだけど」
「着て行って良いぞ」
「マジで?!やった。……つか何か企んでんの?」
どうしてそんなにサービス精神が旺盛なのか。
「はぁ?!善意で言ってんだよ。…お前、貸してやんねーぞ」
「ウソウソ、借りるし」
「じゃあ、取り合えずこの白シャツをまず着ろ。下は…今はそのまんまでいーから」
「は?今?つか着るならこっちのロンTのがいい」
「ダメだ。上にこの春コート合わせんだからな」
「何で決められてんだよ…つか、青いな。こんな色のコート来た事ねぇ」
「春っぽい、この色が主役だからな。だから下は白でいーんだよ。で、その上からこの黒ベストな。あ、アクセはつけるなよ」

結局、言われるがままに服を着、姿見で自分の格好を確認する。
「へぇ〜、悪くねーな。シンプルだけど」
「超良い!って言え。高ぇんだから。汚すなよ。あ、襟は立てとけ」
「ふーん」
「髪はそーだな、伸びてきてるし、ムースで癖付けした方が良いな。前やってただろ。そんで、後ろの髪も少し前に髪持ってくる感じでな」
「何でそんな指導入んの?」
「良いシミュレーションになるだろが。オレがいざ出かける際の」
「実験体かよ」
ようやく意図が読めた。